コラム

売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難

2014年12月02日(火)20時15分

 1枚の漫画は、時に長文のコラムより雄弁に政治の本質に光を当てる。そして漫画などのイメージは文字と違い、機械的なネット検閲に引っかかりにくい。言論や表現に対して強圧的な政権にとって意外とやっかいな存在だ。

「変態トウガラシ(変態辣椒)」という奇妙なペンネームの中国人漫画家が最近、日本と中国で注目を浴びている。本名は王立銘、41歳。性的にアブノーマルなわけではなく、いたって普通の常識人だ(「変態」はこの場合、中国語で「激辛」の意味になる)。王氏が最近、頻繁に日本のニュースで取り上げられているのは、中国の習近平政権による言論や表現への締め付けと、改善の兆しがまだ見えない日中関係という2つの政治的な嵐に巻き込まれ、この夏から日本への「亡命」を余儀なくされているからだ。

 王氏は文化大革命のさなかの73年、下放政策によって上海から新疆ウイグル自治区に送られた両親の下に生まれた。文革終了後に上海に戻り、進学してデザインを学んだ。漫画を描くのは子供の頃から好きで、09年からネットで辛辣な風刺画を発表し始めたところ、次第に人気を集めるようになった。中国マイクロブログ微博のフォロワー数は、最も多い時で90万人に達した。ただ、中国では漫画といえども政府批判は許されない。90万人もフォロワーがいればなおさらで、王氏はたびたび公安当局者から「お茶」に呼び出され、暗に風刺漫画を描かないよう求められるようになった。

 日本に「亡命」することになったきっかけは、今年5月のビジネス目的の旅行だった。生計の手段として続けていたネット販売のリサーチで訪れた日本で、日本人の礼儀正しさや平和主義についてブログにつづったところ、共産党機関紙である人民日報系のサイト「強国論壇」が突然、「媚日」「売国奴」「関係部門は法に基づいて調査せよ」と批判する文章を掲げた。微博のアカウントも削除された。

 突然のバッシングに危険を感じた王氏は、8月末の予定だった帰国便をキャンセル。一緒に来ていた妻とともに日本の入国管理局に滞在延長を申請し、現在は知人の協力で、埼玉大学の客員研究員として日本に留まり続けている。

 王氏が中国に戻ることをためらったのは、必ずしも過剰反応とはいえない。昨年、王氏と同じく政府批判で人気を集めていたブロガー「薛蛮子」が買春容疑で拘束され、自己批判する様子がテレビで中国全土に放送された。人権派弁護士の浦志強など、中国政府にとって耳が痛い指摘をする人々が次々と拘束され、今も釈放されていない。中国の公安当局は王氏の友人に「王はウイグル族のテロリストとつながりがある」「アメリカから秘密資金を受け取っている」と、でたらめを言いふらしているという。

 香港デモを象徴する黄色い傘をもった3人の若者に対して、カメの甲羅に閉じこもった習近平が嫌な顔をしている――日本に「亡命」した後、王氏が発表した作品の1つだ。現在の習近平政権は香港の学生だけでなく、自分と異なる政治的な主張をもつあらゆる人々を排除しようとしている。その統制ぶりは、習の前任者である江沢民や胡錦濤の時代が「自由な時代だった」と懐かしく思えるほどだ(実際、この2人の統治ぶりも十分強権的だったのだが)。

 政権を批判する風刺漫画をやめようと思えば、やめる機会はあった。中国ではネットビジネスのチャンスが日本人の想像よりずっと多く、漫画をやめれば月2万〜5万元(30万〜75万円)の収入を得ることもできた。ただ「人生は1つの作品」と考える王氏にとって、自由な表現を続けることはカネよりも大切だった。

 キリスト教徒である妻も、王氏を支えている。日本やアメリカのメディアでいくつか連載の話が進み始めているが、突然の「亡命」で暮らしはもちろん楽ではない。改革開放が始まってから、多くの中国人の価値観はカネに支配されてきた。そしてカネで動かない、価値観の異なる人々を習近平政権は監獄に送ってきた。ただ王氏のように、カネで動かない人間も中国には確実に存在する。

「中国に帰らない覚悟はできている」と、王氏は言う。共産党が自分たちに反抗しない「愚民化政策」を続け、その統治が続く限り帰国はできない――そう考えるからだ。王氏のような人々がいる一方で、いまだに「カネで動く人々」が大半を占めるのもまた、残念ながら中国の現実である。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

*次ページから、王氏の政治風刺漫画を紹介します。

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。編集コンセプトは、世界と日本をさまざまな視点から見つめる「複眼思考」。編集部ブログでは国際情勢や世界経済、海外エンターテインメントの話題を中心に、ネットの速報記事や新聞・テレビではつかみづらいニュースの意味、解説、分析、オピニオンなどを毎日お届けしていきます。

ニュース速報

ビジネス

訂正:12月米小売売上高0.1%減、第4四半期成長

ビジネス

円急騰し一時116円半ば、原油安・弱い米指標受け=

ビジネス

米国株式市場は大幅反落、原油安と中国経済を懸念

ビジネス

米シティ第4四半期大幅増益、中核事業の収入はさえず

MAGAZINE

特集:サウジ vs イラン 中東冷戦

2016-1・19号(1/13発売)

世界を揺るがすサウジアラビアとイランの「中東冷戦」
地域大国の衝突は地政学や原油市場をどこまで変えるのか

MOOK

ニューズウィーク日本版SPECIAL EDITION

STAR WARS

『フォースの覚醒』を導いた
スター・ウォーズの伝説

12.9 ON SALE!
購入者特典:表紙ポスタープレゼント

人気ランキング (ジャンル別)

  • 最新記事
  • コラム
  • ニュース速報
  1. 1

    北朝鮮「核の暴走」の裏に拷問・強姦・公開処刑

    凄惨な人権侵害の追及が金正恩を核に駆り立てたの…

  2. 2

    北朝鮮テレビから削除された劉雲山――習主席の親書を切り裂いたに等しい

  3. 3

    トルコ攻撃に見え隠れするロシアの「自分探し」症候群

    ヨーロッパから爪はじきにされたプーチンが怒りの…

  4. 4

    台湾・蔡英文氏訪日と親中・親日をめぐる闘い

    台湾野党、民進党主席の蔡英文が来日で見せた巧み…

  5. 5

    河南省、巨大な毛沢東像建造と撤去――中国人民から見た毛沢東と政府の思惑

  6. 6

    米軍に解放されたISの人質が味わった地獄

    イエスと言えば処刑され、ノーと言えばイエスと言…

  7. 7

    イスタンブールの観光地区で自爆テロと思われる爆発、10人死亡

    旧市街のスルタンアフメット広場で爆発、少なくと…

  8. 8

    原油価格、1バレル10ドルまで下落する可能性

    アナリストは一方で現在の原油価格が市場の均衡に…

  9. 9

    【マニラ発】中国主導のAIIBと日本主導のADBを比べてわかること

    アジア開発銀行(ADB)の歴史から考える、アジ…

  10. 10

    日米韓は「北朝鮮を追い詰めているフリ」など止めるべきだ

    国連の制裁には、豊富なウラン資源を持つ独裁国家…

  1. 1

    「激動の2016年」7つの展望

    2016年がスタートして、まだ2週間も経って…

  2. 2

    レイプ写真を綿々とシェアするデジタル・ネイティブ世代の闇

    ここ最近、読んでいるだけで、腹の底から怒りと…

  3. 3

    本当の危機は断交ではなく、ISを利する民衆感情の悪化【サウジ・イラン断交(後編)】

    ※【サウジ・イラン断交(前編)】シーア派指導者処刑…

  4. 4

    世界にインスピレーションを与える東京発のコラージュアート

    新年おめでとうございます。年明けの1本目は、純粋…

  5. 5

    シーア派指導者処刑はサウジの「国内対策」だった【サウジ・イラン断交(前編)】

    広がる国交断絶の波紋 サウジアラビアによるシー…

  6. 6

    ノーベル賞が示す中国科学技術の進むべき道

    2015年のノーベル生理学・医学賞は日本の大村智…

  7. 7

    「脱人間化の極限」に抵抗するアウシュビッツのゾンダーコマンドの姿に深く心を揺さぶられる

    2015年のカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた…

  8. 8

    現実味を帯びてきた、大統領選「ヒラリー対トランプ」の最悪シナリオ

    共和党に2カ月遅れて、民主党もようやく今週1…

  9. 9

    嫌韓デモの現場で見た日本の底力

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔7月…

  10. 10

    閉ざされた「愛の橋」 寛容の国スウェーデンまで国境管理

    デンマーク・コペンハーゲンとスウェーデン南部マル…

  1. 1

    トヨタ、新型クーペでレクサス「退屈」イメージ刷新へ

    トヨタ自動車は11日、北米国際自動車ショー(…

  2. 2

    英戦闘機が日本で空自と共同訓練へ、英国のアジア関与強化狙う

    中谷元防衛相は9日、来日中のファロン英国防相…

  3. 3

    中国株急落に危機感、国務院の金融監督権限拡大へ=関係筋

    中国の国務院(内閣に相当・直属機関)が、金融…

  4. 4

    北朝鮮、終戦の条約得るまで核実験続ける方針=関係筋

    北朝鮮は、朝鮮戦争を正式に終了させるために米…

  5. 5

    中国、2015年成長率は7%前後の見通し=国家発展改革委

    中国国家発展改革委員会(NDRC)の報道官は…

  6. 6

    エアバスが15年受注レースに勝利、納入数ではボーイング

    欧州航空機大手エアバスは、2015年の受注数…

  7. 7

    イスタンブールの観光地区で爆発、10人死亡 自爆攻撃か

    トルコの最大都市、イスタンブールの中心部にあ…

  8. 8

    IMM通貨先物、ドル買い越し減 円は買い越しに転換

    米商品先物取引委員会(CFTC)が8日発表し…

  9. 9

    ホンダ、中国市場向けの「アキュラ」SUV発表へ

    ホンダは、今年中国向けの「アキュラ」ブランド…

  10. 10

    焦点:中国製おもちゃ調達もドル建て、人民元取引の実態

    英国ビジネスマンのトニー・ブラウン氏は、中国…

フランス人と行く!四国お遍路
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

コラム

パックン(パトリック・ハーラン)

シッパイがイッパイ、アメリカの中近東政策