日本男子論 福沢諭吉  明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家(いえ)に居て、男子のみ独り快楽を専(もっぱ)ら にし独り威張るべきにあらず云々(うんぬん)の旨を記(しる)して、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間 は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳(の)べたるに、世上に反対論も少なくして鄙見(ひけん)の行 われたるは、記者の喜ぶ所なれども、右の「婦人論」なり、また「交際論」なり、いずれも婦人の方を本(もと)にして論を立てたるものにして、今の婦人の 有様を憐(あわ)れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心(ばしん)より筆を下(くだ)したるが故に、その筆法は常に婦人の 気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒(ほこさき)の向かわざりしは些(ち)と不都合にして、これを譬(たと)えば、ここに高きものと低きも のと二様ありて、いずれも程好(ほどよ)き中(ちゅう)を得ざるゆえ、これを矯(た)め直(なお)さんとして、ひたすらその低きものを助け、いかように もしてこれを高くせんとて、ただ一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過ぐるものを低くせんとするの手段に力を尽さざりしものの如し。物の低きに 過ぐるは固(もと)より宜(よろ)しからずといえども、これを高くして高きに過ぐるに至るが如きは、むしろ初めのままに捨て置くに若(し)かず。故に他 の一方について高きものを低くせんとするの工風(くふう)は随分難(かた)き事なれども、これを行(おこの)うて失策なかるべきが故に、この一編の文に おいては、かの男子の高き頭(ず)を取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好(ほどよ)き中(ちゅう)を得せしめんとの腹案を以て筆を立 て、「日本男子論」と題したるものなり。  世に道徳論者ありて、日本国に道徳の根本標準を立てんなど喧(かまびす)しく議論して、あるいは儒道に由(よ)らんといい、あるいは仏法に従わんとい い、あるいは耶蘇(ヤソ)教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦(よろこ)ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便なり、つまり自 愛に溺(おぼ)れず、博愛に流れず、まさにその中道を得たる一種の徳教を作らんというものあり。これらの言を聞けば一応はもっとも至極にして、道徳論に 相違はなけれども、その目的とする所、ややもすれば自身に切(せつ)ならずして他に関係するものの如し。一身の私徳を後(のち)にして、交際上の公徳を 先にするものの如し。即ち家に居(お)るの徳義よりも、世に処するの徳義を専(もっぱ)らにするものの如し。この一点において我輩が見る所を異(こと) にすると申すその次第は、敢(あ)えて論者の道徳論を非難するにはあらざれども、前後緩急の別について問う所のものなきを得ざるなり。  世界開闢(かいびゃく)の歴史を見るに、初めは独化(どっか)の一人(いちにん)ありて、後(のち)に男女夫婦を生じたりという。我が日本において、 国常立尊(くにのとこたちのみこと)の如きは独化の神にして、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、伊奘冊尊(いざなみのみこと)は則(すなわ)ち夫婦の神な り。西洋においても、先ずエデンの園に現われたる人はアダムにして、後にイーブなる女性を生じ、夫婦の道始めて行われたるものなり。さてこの独化(どっ か)独生(どくせい)の人が独り天地の間に居(お)るときに当たりては、固(もと)より道徳の要(よう)あるべからず。あるいは謹(つつし)んで天に事 (つか)うるなどのこともあらんなれども、これは神学の言にして、我輩が通俗の意味に用うる道徳は、これを修めんとして修むべからず、これを破らんとし て破るべからず、徳もなく不徳もなき有様なれども、後(のち)にここに配偶を生じ、男女二人(ににん)相(あい)伴(ともの)うて同居するに至り、始め て道徳の要用を見出したり。その相伴うや、相共に親愛し、相共に尊敬し、互いに助け、助けられ、二人(ににん)あたかも一身同体にして、その間に少しも 私(わたくし)の意を挟(さしはさ)むべからず。即ち男女居(きょ)を同じうするための要用にして、これを夫婦の徳義という。もしも然(しか)らずして 、相互いに疎(うと)んじ相互いに怨(うら)んでその情を痛ましむるが如きありては、配偶の大倫(たいりん)を全うすること能(あた)わずして、これを その人の不徳と名づけざるを得ず。我輩窃(ひそ)かに案ずるに、かの伊奘諾尊、伊奘冊尊、またはアダム、イーブの如きも、必ずこの夫婦の徳義を修めて幸 福円満なりしことならんと信ずるのみ。  されば人生の道徳は夫婦の間に始まり、夫婦以前道徳なく、夫婦以後始めてその要を感ずることなれば、これを百徳の根本なりと明言して決して争うべから ざるものなり。既に夫婦を成してここに子あり、始めて親子・兄弟姉妹の関係を生じ、おのおのその関係について要用の徳義あり。慈といい、孝といい、悌( てい)といい、友(ゆう)というが如き、即ちこれにして、これを総称して人生居家(きょか)の徳義と名づくといえども、その根本は夫婦の徳に由(よ)ら ざるはなし。如何(いかん)となれば、夫婦既(すで)に配偶の大倫を紊(みだ)りて先ず不徳の家を成すときは、この家に他の徳義の発生すべき道理あらざ ればなり。近く有形のものについて確かなる証拠を示さんに、両親の身体に病あればその病毒は必ず子孫に遺伝するを常とす、人の普(あまね)く知る所にし て、夫婦の病は家族百病の根本なりといわざるを得ず。有形の病毒にして斯(かく)の如くなれば、無形の徳義においてもまた斯の如くなるべきは、誠に睹易 (みやす)き道理にして、これに疑いを容(い)るる者はなかるべし。病身なる父母は健康なる児を生まず、不徳の家には有徳なる子女を見ず。有形無形その 道理は一なり。あるいは夫婦不徳の家に孝行の子女を生じ、兄弟姉妹団欒(だんらん)として睦(むつ)まじきこともあらば、これは不思議の間違いにして、 稀(まれ)に人間世界にあるも、常に然(しか)るを冀望(きぼう)すべからざる所のものなり。世間あるいは強いてこれを望む者もあるべしといえども、そ の迂闊(うかつ)なるは病父母をして健康無事の子を生ましめんとするに異ならず、我輩の知らざる所なり。古人の言に孝は百行(ひゃっこう)の本(もと) なりという。孝行は人生の徳義の中にて至極大切なるものにして、我輩も固(もと)より重んずる所のものなりといえども、世界開闢生々(せいせい)の順序 においても、先ず夫婦を成して然る後に親子あることなれば、孝徳は第二に起こりたるものにして、これに先だつに夫婦の徳義あるを忘るべからず。故に今仮 (かり)に古人の言に従って孝を百行の本とするも、その孝徳を発生せしむるの根本は、夫婦の徳心に胚胎(はいたい)するものといわざるを得ず。男女の関 係は人生に至大(しだい)至重(しちょう)の事なり。  夫婦家(いえ)に居て親子・兄弟姉妹の関係を生じ、その関係について徳義の要用を感じ、家族おのおのこれを修めて一家の幸福いよいよ円満いよいよ楽し 。即ち居家(きょか)の道徳なれども、人間生々(せいせい)の約束は一家族に止(とど)まらず、子々孫々次第に繁殖すれば、その起源は一対の夫婦に出( いず)るといえども、幾百千年を経(ふ)るの間には遂に一国一社会を成すに至るべし。既に社会を成すときは、朋友の関係あり、老少の関係あり、また社会 の群集を始末するには政府なかるべからざるが故に、政府と人民との関係を生じ、その仕組みには君臣の分を定むるもあり、あるいは君臣の名なきもあれども 、つまり治むる者と治めらるる者との関係にして、その意味は大同小異のみ。斯(か)く広き社会の中に居て、一人と一人との間、また一種族と一種族との間 に様々の関係あることなれば、その関係について、それぞれ守る所の徳義なかるべからず。即ち朋友に信といい、長幼に序といい、君臣または治者・被治者の 間に義というが如く、大切なる箇条あり。これを人生戸外(こがい)の道徳という。即ち家の外の道徳という義にして、家族に縁なく、広く社会の人に交わる に要用なるものにして、かの居家の道徳に比すれば、その働くところを異にするが故に、その重んずる所もまた自(おの)ずから相(あい)異(こと)ならざ るを得ず。  例えば私有の権というが如きは、戸外において最も大切なる箇条にして、これを犯すものは不徳のみならず、冷淡無情なる法律においても深く咎(とが)む る所なれども、一歩を引いて家の内に入れば甚だ寛(ゆるや)かにして、夫婦親子の間に私有を争うものも少なし。家の内には情を重んじて家族相互いに優し きを貴(たっと)ぶのみにして、時として過誤(あやまり)失策(しくじり)もあり、または礼を欠くことあるもこれを咎めずといえども、戸外にあっては過 誤も容易に許されず、まして無礼の如きは、他の栄誉を害するの不徳として、世間の譏(そし)りを免(まぬか)るべからず。これを要するに、戸外の徳は道 理を主とし、家内の徳は人情を主とするものなりというて可ならん。即ち公徳私徳の名ある所以(ゆえん)にして、その分界(ぶんかい)明白なれば、これを 教うるの法においてもまた前後本末の区別なかるべからざるなり。  例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠 なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固(もと)より家内に行わるるといえども、あたかも親愛、恭敬 、孝悌の空気の中に包羅(ほうら)せられて特(こと)に形を現わすを得ず。その行わるるや不規則なるが如くにして、ただ精神を誠の一点に存し、以て幸福 円満欠くることなきを得るのみ。然(しか)るに戸外の公徳は、ややもすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陥らんとするの弊なきにあらず。最も憂う べき所にして、ある人の説に十全の正直は十全の親愛と両立すべからずといいしも、この辺の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳(は くとく)を歎き、未だ誠に至らずなど言うは、その言(げん)不分明にして徳の公私を分かたずといえども、意のある所を窺(うかが)えば、公徳の働きに情 を含むこと未だ足らずして、私徳の円満なるが如くならずというの意味を見るべし。されば今、公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし、 誠意誠心を発達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風(くふう)こそ最第一(さいだいいち)の肝要なれ。即ち家に居(お)り家族相互いに親愛恭敬して 人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子 の門に出(い)ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私(し)、修まるときは、この公(こう)、美ならざらんと欲するも 得(う)べからざるなり。  然(しか)るに我輩が古今和漢の道徳論者に向かって不平なるは、その教えの主義として第一に私徳公徳の区別を立てざるにあり。第二には、仮令(たと) え不言(ふげん)の間に自(おの)ずから区別する所ありとするも、その教えの方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き、また時としては公徳 を勧め、いずれか前、いずれか後なるを明らかにせざるがために、後進の学者をして方向を誤らしむるにあり。然(し)かのみならず、その教えの主義たるや 、ややもすれば政治論に混同して重きを政治に置き、これに関する徳義は固(もと)より公徳なるが故に、かえって私徳を後にして公徳を先にするものさえな きにあらず。例えば忠義正直というが如き、政治上の美徳にして、甚だ大切なるものなれども、人に教うるに先ずこの公徳を以てして、居家の私徳を等閑(な おざり)にするにおいては、あたかも根本の浅き公徳にして、我輩は時にその動揺なきを保証する能(あた)わざるものなり。  そもそも一国の社会を維持して繁栄幸福を求めんとするには、その社会の公衆に公徳なかるべからず。その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私 徳の発育に取らざるべからず。即ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして、国力の由(よ)って以(もっ)て発生する源は、単に家にあって存する こと、更に疑うべきにあらず。然(しか)り而(しこう)してその家の私徳なるものは、親子・兄弟姉妹、団欒(だんらん)として相親しみ、父母は慈愛厚く して子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の労を軽くする等の箇条にして、能(よ)くこの私徳を発達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の 間に薫(くん)ずる親愛恭敬の美にあらざるはなし。  およそ古今世界に親子不和といい兄弟姉妹相争うというが如き不祥の沙汰(さた)少なからずして、当局者の罪に相違はなけれども、一歩を進めて事の原因 を尋ぬれば、その父母たる者が夫婦の関係を等閑(なおざり)にしたるにあり。なお進んで吟味を遠くすれば、その父母の父母たる祖父母より以上曾祖(そう そ)玄祖(げんそ)に至るまでも罪を免るべからず。前節にもいえる如く、人の心の不徳は身の病に異ならず、病毒の力能(よ)く四、五世に遺伝するものな れば、不徳の力もまた四、五世に伝えて禍(わざわい)せざるを得ず。されば公徳の根本は一家の私徳にありて、その私徳の元素は夫婦の間に胚胎(はいたい )すること明々白々、我輩の敢(あ)えて保証する所のものなれば、男女両性の関係は立国の大本、禍福の起源として更に争うべからず。今日吾々日本国民の 形体は、伊奘諾・伊奘冊二尊(にそん)の遺体にして、吾々の依(よ)って以(もっ)て社会を維持する私徳公徳もまた、その起源を求むれば、二尊夫婦の間 に行われたる親愛恭敬の遺徳なりと知るべし。  夫婦親愛恭敬の徳は、天下万世百徳の大本(たいほん)にして更に争うべからざるの次第は、前(ぜん)既にその大意を記(しる)して、読者においても必 ず異議はなかるべし。そもそも我輩がここに敬の字を用いたるは偶然にあらず。男女肉体を以て相(あい)接(せっ)するものなれば、仮令(たと)えいかな る夫婦にても一時の親愛なきを得ず。動物たる人類の情において然(しか)りといえども、人類をして他の動物の上に位(くらい)して万物の霊たらしむる所 以(ゆえん)のものは、この親愛に兼ねて恭敬の誠あるに由(よ)るのみ。これを通俗にいえば、夫婦の間、相互いに隔てなくして可愛がるとまでにては未だ 禽獣と区別するに足らず。一歩を進め、夫婦互いに丁寧にし大事にするというて、始めて人の人たる所を見るに足るべし。即ち敬の意なり。  然らば即ち敬愛は夫婦の徳にして、この徳義を修めてこれを今日の実際に施すの法如何(いかん)と尋ぬるに、夫婦利害を共にし苦楽喜憂を共にするは勿論 、あるいは一方の心身に苦痛の落ち来(きた)ることもあれば、人力の届く限りはその苦痛を分担するの工風(くふう)を運(めぐ)らさざるべからず。いわ んや己れの欲せざる所を他の一方に施すにおいてをや。ゆめゆめあるまじき事にして、徹頭徹尾、恕(じょ)の一義を忘れず、形体(からだ)こそ二個(ふた り)に分かれたれども、その実は一身同体と心得て、始めて夫婦の人倫を全うするを得べし。故に夫婦家に居(お)るは人間の幸福快楽なりというといえども 、本来この夫婦は二個の他人の相(あい)合(お)うたるものにして、その心はともかくも、身の有様(ありさま)の同じかるべきにあらず。夫婦おのおのそ の親戚を異(こと)にし、その朋友を異にし、これらに関係する喜憂は一方の知らざる所なれども、既に一身同体とあれば、その喜憂を分かたざるを得ず。ま た平生(へいぜい)の衣食住についても、おのおの好悪(こうお)する所なきを期すべからずといえども、互いに忍んでその好悪に従わざるべからず。またあ るいは一方の病気の如き、固(もと)より他の一方に痛痒(つうよう)なけれども、あたかもその病苦を自分の身に引受くるが如くして、力のあらん限りにこ れを看護せざるべからず。良人(りょうじん)五年の中風症(ちゅうふうしょう)、死に至るまで看護怠らずといい、内君(ないくん)七年のレウマチスに、 主人は家業の傍(かたわ)らに自ら薬餌(やくじ)を進め、これがために遂に資産をも傾けたるの例なきにあらず。  これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友の附合(つきあい)もただ一方にして余計の心配なく、衣食住の物と て自分一人(ひとり)の気に任せて不自由なく、病気も一身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦 労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責(せめ)に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相 (あい)伴(ともの)うの約束にして、俗にいわゆる丸儲(まるもう)けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において 二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡(そんもう)とてはなくして苦楽相(あ い)償(つぐの)い、平均してなお余楽(よらく)あるものと知るべし。  されば夫婦家に居(お)るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れ ば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男(ただん)は、果たして天理に叶(かな)うか、果た して人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否(いな)と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元( もと)一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々(せいせい)の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、 臨時の便利において如何(いかん)というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄(が んろう)せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事(せじ)繁多(はんた)なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病 気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦(しゅうふ)に接し、一婦衆男(しゅうだん)に交わるも、木石(ぼくせき )ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取 らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀(はか)りて許すべからざる所のものなり。  男女にして一度(ひとた)びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕(じょ)の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断 絶せざるを得ず。仮令(たと)えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾(かきん)、以て全璧(ぜんぺき )の光を害して家内の明(めい)を失い、禍根一度(ひとた)び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば 、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云(いわ)く、多妻多男の法は今世(こんせい)を挙げて今 人(こんじん)の玩弄物(がんろうぶつ)に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは 、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易(か)うること能わざる者なり。  男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福の基(もとい)、また百不幸の源たるの理由は、 前に陳(の)べたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑(なおざり)にして大倫を破るもの多きやと 尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆然(しか)らざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして 、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概を窺(うかが)い見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清(けっせい)なりやというに、決して 然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪(にく)み賤(いや)しむの情は日本人よりも甚だしくして 、輿論(よろん)の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵 して窃(ひそ)かにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこ れを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳(つまび)らかにするに由(よし)なしとい えども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子(しし)なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、頻(しき)りに子を生むの要用を感じ 、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてか妾(しょう)を畜(やしな)うの風を成したるものの如し。天理の議論などはと もかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、止(や)むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義として恕(じょ) すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙(ひっし)にも尽し難きものあり。  さなきだに人類の情慾は自(おの)ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡(おしひろ)めていかな る事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾(しょう)を畜(やしな)うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこ れを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経(ふ)る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義 をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止(とど)ま らず、その禍(わざわい)は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先(ま)ず紊(みだ)れて社会交際の公徳を害し、立国の大本(たいほん)、動揺せざらんと欲 するも得(う)べからず。故に今日の日本男子にして内行(ないこう)の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下 に対しまた後世に対して、その罪免(まぬか)るべからざるものなり。  主人の内行(ないこう)修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌(ふ てい)不友(ふゆう)の兄弟姉妹を作るは、固(もと)より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐(あわ)れむべきは、 家に男尊女卑の悪習を醸(かも)して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというと いえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事(びじ)として誇る者はあるべからず。否(いな)百人は百人、千人は千人、皆これを 心の底に愧(は)じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落(らいらく)なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるの みなれども、俗にいわゆる疵(きず)持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも、時として禁句に触れ らるることあれば、その時の不愉快は譬(たと)えんに物なし。無心の小児が父を共にして母を異(こと)にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾 が家に一父二、三母あるは如何(いかん)などと、不審を起こして詰問に及ぶときは、さすが鉄面皮(てつめんぴ)の乃父(だいふ)も答うるに辞(ことば) なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし。即ちその身の弱点(よわみ)にして、小児の一言、寸鉄腸(はらわた)を断つものなり。既にこの弱 点あれば常にこれを防禦するの工風(くふう)なかるべからず。その策如何(いかん)というに、朝夕(ちょうせき)主人の言行を厳重正格にして、家人を視 (み)ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事(つか)うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その忌 諱(きき)には触(ふ)るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損ずべからずとして、上下尊卑の分(ぶん)を明らかにし、例の内行禁句の一事に至り ては、言(こと)の端(は)にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも 称すべきものなり。  およそ人事に必要なるものは特に求めずして成るの常にして、かの内行不始末の防禦策の如きも、誰(た)が家の主人がいずれの時にこれを発明して実行の 先例を示したりなどいうべき跡はなけれども、今日の実際について見れば、主人の内行修まらざる者は、その家風の外面は必ず厳重にして、家族骨肉の間、自 然に他人の交際の如く、何か互いに隠して打ち解けざるものあるが如し。あるいはまた、家道紊(みだ)れて取締なく、親子妻妾相(あい)互(たが)いに無 遠慮狼藉(ろうぜき)なるが如きものにても、その主人は必ず特に短気無法にして、家人に恐れられざるはなし。即ち事の要用に出でたるものにして、いやし くも家風に厳格を失うか、もしくは主人に短気無法の威力なきにおいては、かの不品行の弱点を襲わるるの恐れあればなり。世間の噂(うわさ)に、某家の主 人は内行に頓着せずして家事を軽んじ、あるいは妻妾一処に居て甚だ不都合なれども、内君は貞実にして主公は公平、妾もまた至極(しごく)柔順なる者にし て、かつて家に風波を生じたることなしなどいう者あれども、これはただ外見外聞の噂のみ。即ちその風波の生ぜざるは、ただ家法の厳にして主公の威張るが ためにして、これを形容していえば、圧制政府の下に騒乱なきものに異ならず。ただ表に破裂せざるのみ。その内実は風波の動揺を互いの胸中に含むものとい うべし。されば、男尊女卑、主公圧制、家人卑屈の組織は、不品行の家に欠くべからざるの要用にして、日々夜々(にちにちやや)、後進の子女をこの組織の 中に養育することなれば、その子女後年の事もまた想い見るべし。我輩の特(こと)に憐れむ所のものなり。天下広し家族多しといえども、一家の夫婦・親子 ・兄弟姉妹、相互いに親愛恭敬して至情を尽し、陰にも陽にも隠す所なくして互いにその幸福を祈り、無礼の間に敬意を表し、争うが如くにして相(あい)譲 (ゆず)り、家の貧富に論なく万年の和気悠々として春の如くなるものは、不品行の家に求むべからざるの幸福なりと知るべし。  君子の世に処するには、自ら信じ自ら重んずる所のものなかるべからず。即ち自身の他に擢(ぬき)んでて他人の得て我に及ばざる所のものを恃(たの)み にするの謂(いい)にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資(たすけ)たるべきものなれ ども、就中(なかんずく)私徳の盛んにしていわゆる屋漏(おくろう)に恥じざるの一義は最も恃(たの)むべきものにして、能(よ)くその徳義を脩(おさ )めて家内に恥ずることなく戸外に憚(はばか)る所なき者は、貧富・才不才に論なく、その身の重きを知って自ら信ぜざるはなし。これを君子の身の位(く らい)という。洋語にいうヂグニチーなるもの、これなり。そもそも人の私徳を脩むる者は、何故(なにゆえ)に自信自重の気象を生じて、自ら天下の高所に 居(お)るやと尋ぬるに、能(よ)く難(かた)きを忍んで他人の能(よ)くせざる所を能くするが故なり。例えば読書生が徹夜勉強すれば、その学芸の進歩 如何(いかん)にかかわらず、ただその勉強の一事のみを以て自ら信じ自ら重んずるに足るべし。寺の僧侶が毎朝(まいちょう)早起(そうき)、経(きょう )を誦(しょう)し粗衣粗食して寒暑の苦しみをも憚(はばか)らざれば、その事は直ちに世の利害に関係せざるも、本人の精神は、ただその艱苦(かんく) に当たるのみを以て凡俗を目下に見下すの気位を生ずべし。天下の人皆財(ざい)を貪(むさぼ)るその中に居て独り寡慾(かよく)なるが如き、詐偽(さぎ )の行わるる社会に独り正直なるが如き、軽薄無情の浮世に独り深切(しんせつ)なるが如き、いずれも皆抜群の嗜(たしな)みにして、自信自重の元素たら ざるはなし。如何(いかん)となれば、書生の勉強、僧侶の眠食は身体の苦痛にして、寡慾、正直、深切の如きは精神の忍耐、即ち一方よりいえばその苦痛な ればなり。  されば私徳を大切にするその中についても、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清(けっせい)の節を守り、俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)ずることなから んとするには、人生甚だ長くしてその間に千種万様の事情あるにもかかわらず、自ら血気を抑えて時としては人の顔色(がんしょく)をも犯し、世を挙(こぞ )って皆酔うの最中、独り自ら醒(さ)め、独行勇進して左右を顧みざることなれば、随分容易なる脩業(しゅぎょう)にあらず。即ち木石(ぼくせき)なら ざる人生の難業ともいうべきものにして、既にこの業を脩(おさ)めて顧みて凡俗世界を見れば、腐敗の空気充満して醜に堪えず。無知無徳の下等社会はとも かくも、上流の富貴(ふうき)または学者と称する部分においても、言うに忍びざるもの多し。人間の大事、社会の体面のためと思えばこそ、敢(あ)えてこ れを明言する者なけれども、その実は万物の霊たるを忘れて単に獣慾の奴隷たる者さえなきにあらず。  いやしくも潔清(けっせい)無垢(むく)の位(くらい)に居(お)り、この腐敗したる醜世界を臨(のぞ)み見て、自ら自身を区別するの心を生ぜざるも のあらんや。僅(わず)かに資産の厚薄、才学の深浅を以てなおかつ他と伍(ご)をなすを屑(いさぎよ)しとせず。いわんや人倫の大本、百徳の源たる男女 の関係につき、潔不潔を殊(こと)にするにおいてをや。他の醜物を眼下に視(み)ることなからんと欲するも得(う)べからず。即ち我が精神を自信自重の 高処に進めたるものにして、精神一度(ひとた)び定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみに止(とど)まらず、発しては社会交際の運動となり、言語 応対の風采となり、浩然(こうぜん)の気(き)外に溢(あふ)れて、身外の万物恐るるに足るものなし。談笑洒落(しゃらく)・進退自由にして縦横憚(は ばか)る所なきが如くなれども、その間に一点の汚痕(おこん)を留(とど)めず、余裕綽々然(しゃくしゃくぜん)として人の情を痛ましむることなし。け だし潔清無垢の極はかえって無量の寛大となり、浮世の百汚穢(ひゃくおわい)を容(い)れて妨げなきものならんのみ。これを、かの世間の醜行男子が、社 会の陰処(いんしょ)に独り醜を恣(ほしいまま)にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎(ちんめん)冒色(ぼうしょく )勝手次第に飛揚して得々(とくとく)たるも、不幸にして君子の耳目に触るるときは、疵(きず)持つ身の忽(たちま)ち萎縮して顔色を失い、人の後(し りえ)に瞠若(どうじゃく)として卑屈慚愧(ざんき)の状を呈すること、日光に当てられたる土鼠(もぐら)の如くなるものに比すれば、また同日の論にあ らざるなり。  近来世間にいわゆる文明開化の進歩と共に学術技芸もまた進歩して、後進の社会に人物を出(いだ)し、また故老の部分においても随分開明説を悦(よろこ )んで、その主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締もまた同時に進歩し、この輩が不文(ふぶん)野蛮と称 して常に愍笑(びんしょう)する所の封建時代にありても、決して許されざりし不品行を今日に犯し、恬(てん)として愧(は)ずるを知らざるものなきにあ らず。文明進歩して罪を野蛮人に得る者というべし。学術技芸果(は)たして何の効あるべきや。我輩は我が社会を維持して国を立てんとするに、むしろ無学 無術の人と事を共にするも、有智の妖怪と共にするを欲せざる者なり。そもそも我が日本国の独立して既に数千年の社会を維持し、また今後万々歳に伝えんと するは、自(おの)ずからその然(しか)る所以(ゆえん)の元素あるが故なり。即ち社会の公徳にして、その公徳の本(もと)は家の私徳にあり。何者の軽 薄児か、敢(あ)えて文明を口に藉(か)りて立国の大本(たいほん)を害せんとするや。我が道徳は数千年に由来してその根本固し。豈(あに)汝らをして 容易にこれを動揺せしめんや。天下広し、我輩徳友に乏しからず。常に汝らの挙動に注目して一毫(いちごう)も仮(か)さず、鼓(つづみ)を鳴らしてその 罪を責めんと欲する者なり。  人間処世(しょせい)の権理(けんり)に公私の区別ありて、先ず私権を全うして然る後、公権の談に及ぶべしとの次第は、かつて『時事新報』の紙上にも 記したることなるが(去年十月六日より同十二日までの『時事新報』「私権論」)、そもそもこの私権の思想の発生する事情は種々様々なれども、最第一(さ いだいいち)の原因は、本人の自ら信じ自ら重んずるの心にあって存するものと知るべし。即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊(たっと)きこと玉 璧(ぎょくへき)もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧(たま)に瑕瑾(きず)を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠(おこた)ることな く、穎敏(えいびん)に自ら衛(まも)りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全く法律上の事にして、徳義には縁なき ものの如くに見ゆれども、元これを保護せんとするの思想は、円満無欠なる我が身に疵(きず)つくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、いやしくも内に自 ら省みて疚(やま)しきものあるにおいては、その思想の発達、決して十分なるを得(う)べからず。如何(いかん)となれば本人は元来疵(きず)持つ身に して、その気既(すで)に餒(う)えたるが故に、大節に臨んで屈することなきを得ず。即ち人心の働きの定則として、一方に本心を枉(ま)げて他の一方に これを伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清(けっせい)の位(くらい)に置くと、私権を張りて節を屈せざると、二者その趣を殊(こと)に するが如くなれども、根本の元素は同一にして、私徳私権相(あい)関(かん)し、徳は権の質(しつ)なりというべし。試みにこれを歴史に徴するに、義気 凜然(りんぜん)として威武も屈する能(あた)わず富貴も誘(いざの)う能わず、自ら私権を保護して鉄石の如くなる士人は、その家に居(お)るや必ず優 しくして情に厚き人物ならざるはなし。即ち戸外の義士は家内の好主人たるの実(じつ)を見るべし。いかなる場合にも放蕩(ほうとう)無情、家を知らざる の軽薄児が、能(よ)く私権のために節を守りて義を全うしたるの例は、我輩の未だ聞かざる所なり。  窃(ひそ)かに世情を視(み)るに、近来は政治の議論漸(ようや)く喧(かまびす)しくして、社会の公権即ち政権の受授につき、これを守らんとする者 もまた取らんとする者も、頻(しき)りに熱心して相争うが如くなるは至極当然の次第にして、文明の国民たる者は国政に関すべき権利あるが故に、これを争 うも可なりといえども、前にいえる如く、この公共の政権を守り、またこれを得んとするには、先ず一身の私権を固くすること肝要にして、その私権を固くせ んとするには私徳を脩(おさ)めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、 その私徳の位(くらい)は如何(いかん)と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆(みな)中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみにあらず。そ の智識聞見は、あるいは西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは、我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人心匠(しんしょう) 巧みにして、自家の便利のためには、時に文林儒流の磊落(らいらく)を学び、軽躁浮薄(けいそうふはく)、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行(さ いこう)を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着(まんちゃく)するの口実に用いんとする者なきにあらず。けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味 か、その吟味はしばらく擱(さしお)き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々(らいらいらくらく)は政治家の徳義なり とて、長老その例を示して少壮これに傚(なら)い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚(けが)すに足らざるのみならず、最も磊落、最も 不品行にして始めて能(よ)く他を圧倒するに足るものの如し。  そもそも内行の不取締は法律上における破廉恥(はれんち)などとは趣を異(こと)にして、直ちに咎(とが)むべき性質のものにあらず。また人の口にし 耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識(しらずしらず)の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経(ふ)るのその間には、習俗 遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣、その内行を慎まずして私 徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私権、戸外の公権をも併(あわ)せて失い尽したるものならんのみ。されば今日の 政治家が政事に熱心するも、単に自身一時の富貴のためにあらず、天下後世のために、国民の私権を張り公権を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば 、後の世の政治社会に宜(よろ)しからざる先例を遺(のこ)すは、必ず不本意なることならん。もしもその本心に問うて慊(こころよ)からざることあらば 、仮令(たと)え法律上に問うものなきも、何ぞ自ら省みて、これを今日に慎まざるや。金玉(きんぎょく)もただならざる貴重の身にして自らこれを汚(け が)し、一点の汚穢(おわい)は終身の弱点となり、もはや諸々(もろもろ)の私徳に注意するの穎敏(えいびん)を失い、あたかも精神の痲痺(まひ)を催 してまた私権を衛(まも)るの気力もなく、漫然(まんぜん)世と推移(おしうつ)りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き 、我輩は失敬ながら本(もと)を知らずして末(すえ)に走るの人と評せざるを得ざるなり。  然(し)かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏(えいびん)となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあ れば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪(えんざい)(ある人の説く所に 拠(よ)れば全く無根の冤(えん)なりともいう)を以て政治社会を擯(しりぞ)けられたり。我輩はもとより氏に私(わたくし)の縁あらざれば、その人の 幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺(うかが)い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清(け っせい)無垢(むく)にして、一点の汚痕(おこん)を留(とど)めざるものというべし。斯(か)くありてこそ一国の政治社会とも名づくべけれ。その士気 の凜然(りんぜん)として、私(し)に屈せず公(こう)に枉(ま)げず、私徳私権、公徳公権、内に脩(おさ)まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然(せ いぜんぎぜん)として、その余光を四方に燿(かがや)かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実 際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。  外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにし て人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が 日本国の事情を詳(つまび)らかにせんとするは、容易なることにあらざるが故に、彼らをして我が真面目(しんめんもく)を知らしめんとするには、事の細 大に論なく、仮令(たと)え無用に属する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我を知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我が国衣食住の有様は云々 (しかじか)にして習俗宗教は斯(かく)の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装(よそお)うて体裁を張るが如き、こ れなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来(きた)るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬよう にと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙(とひ)の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。ある いは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢(ごうしゃ)分外の譏(そし)りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を 含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易(やす)からざるが故に、先ず虚(きょ)よ り導きて実(じつ)に入らしむる方便なりといえば、強(あなが)ち咎(とが)むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱(さしお)き、我が日 本国人が外国交際を重んじてこれを等閑(とうかん)に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その 愛国の衷情(ちゅうじょう)、実際の事跡に現われたるものというべし。  然るに、我輩が年来の所見を以ていかように判断せんとするも説(せつ)を得ざるその次第は、我が国人が斯(か)くまでに力を尽して外交を重んじ、ただ に事実に国の富強文明を謀(はか)るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専(もっぱ)ら西洋流の文明開化に倣(なら)わんとして怠ることなく、こ れを欣慕(きんぼ)して二念なき精神にてありながら、独りその内行(ないこう)の問題に至りては、全く開明の主義を度外に放棄して、純然たる亜細亜(ア ジア)洲の旧慣に従い、居然(きょぜん)自得(じとく)して眼中また西洋なきが如くなるの一事なり。元来西洋の人は我が日本の事情に暗くして、ややもす れば不都合千万なる謬見(びゅうけん)を抱く者少なからず。就中(なかんずく)彼らは耶蘇(ヤソ)教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れ ば、千百の吟味詮索(せんさく)は差置(さしお)き、一概にこれを外教人(がいきょうじん)と称して、何となく嫌悪の情を含み、これがために双方の交情 を妨ぐること多きは、誠に残念なる次第にして、我輩は常にその弁明に怠らず。日本国民既(すで)に耶蘇(ヤソ)教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者 ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国独(ひと)り徳国にあらず、いやしくも数千 年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国(りっこく)根本の道徳なくして叶(かな)うべきや、耶蘇の教義果(は) たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自( おの)ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎(とが)むるもの なく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧(は)ずるを知らず、即 ち人生居家(きょか)の大倫を紊(みだ)りたるものにして、随(したが)って生ずる所の悪事は枚挙に遑(いとま)あらず、その余波(よは)引いて婚姻の 不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものとい うも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見 (びゅうけん)妄漫(ぼうまん)を知らざるにあらず、我が徳風斯(か)くまでに壊(やぶ)れたるにあらず、我が家族悉皆(しっかい)然るにあらず、外人 の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は 云々(うんぬん)、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒(ろんぽう)に向かっては、残念なが ら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮(か)すに我を軽侮するの資(し)を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の 遺憾、無窮(むきゅう)に忘るべからざる所のものなり。  然(しか)り而(しこう)して日本国中その責(せめ)に任ずる者は誰(た)ぞや、内行(ないこう)を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば 、外国人の見る目如何(いかん)などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙(とひ)の外観を飾り、または交際の法に華美を 装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来(きた)す所以(ゆえん)の大本(おおもと)をば擱(さしお)き、徒(ただ)に末に走りて労するものという べきのみ。これを喩(たと)えば、大廈(たいか)高楼の盛宴に山海の珍味を列(つら)ね、酒池肉林(しゅちにくりん)の豪、糸竹(しちく)管絃の興、善 尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼(たんせき)裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼(きょうれい )は鄭重(ていちょう)にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主(ひんしゅ)の礼儀において陽に発言せざるも、陰 に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論な く、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙(こうむ)るの一事は、その原因中の大箇条 (だいかじょう)なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時(へんじ)も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国 を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊(いばら)に坐し胆(たん)を嘗(な)むるも憚(はばか)らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛 苦にあらず。在昔(ざいせき)はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則(すなわ)ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とは なりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。 「日本男子論」の一編、その言(こと)既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫(いちごう)も仮(か)さず、水も洩(も)らさぬほどに論じ詰めたる ことなれば、世間無数疵(きず)持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁(のが)るるに路(みち)なく、ただその心中に謂(おもえ)らく、内行の不取締 、醜といわるれば醜なれども、詐偽(さぎ)・破廉恥(はれんち)にはあらず、また我が一身の有様は自(おの)ずから人に語るべからざる都合もあることな るに、斯(か)くまでに酷言(こくげん)せずともなどといささか不平もありながら、さりとて何と答弁の辞(ことば)もなくして甚だ苦しきことなるべし。 我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最(さい)とするやと尋ねたらば、独立の体 面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而(しこう)してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益(えき)すべきものはこれを採り 、害すべきものはこれを除かんとするもまた、日本国民の身においてまさに然るべき至情なるべし。されば絶対(アブソリュート)の理論においては、人間世 界の善悪邪正をいかなるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、まして男女の内行に関し、一夫一婦法と多妻多男法と、いずれか正、いずれか邪 なる、固(もと)より明断(めいだん)し難しといえども、開闢(かいびゃく)以来の実験に拠(よ)り、また今日の文明説に従うときは、一家の私(し)の ため一国の公(こう)のために、多妻多男法は一夫一婦法の善(よ)きに若(し)かず。かつ今日の世界は西洋文明の風に吹かれてこれに抵抗すべからざるの 時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌(けんき)して、そのこれを嫌忌するの成跡(せいせき)は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当 し、これに反するものは必ず害を被(こうむ)りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家のために、 決して軽んずべからざるの大義にして、即ち我輩がいかなる事情に逢うも、断乎として一毫をも仮さざる由縁(ゆえん)なり。  またあるいは説を作り、西洋文明の人と称する者にても、その男女の内行決して潔清(けっせい)なるにあらず、表面はともかくも、裏面に廻りて内部を視 察すれば、醜に堪えざるもの多し、何ぞ必ずしも独り日本人を咎(とが)むるに足らんなどいう者なきにあらず。これは我が国の上流、殊に西洋家と称する一 類の中に行わるる言なれども、全く無力の遁辞(とんじ)口実たるに過ぎず。そもそも人生の気力を平均すれば至って弱き者にして、ややもすれば艱難(かん なん)に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰(ふぎょう)慚(は)ずる所なからんとするは、気力乏しき人にとりて 随分一難事とも称すべきものなるが故に、西洋の男女独り木石(ぼくせき)にあらずまた独り強者にあらず、俗にいう穴探(あなさが)しの筆法を以てその社 会の陰処(いんしょ)を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、枚挙に遑(いとま)あらず。我輩は親しくその国人の言に聞きたることもあり、またその著書 ・新聞紙上に見たることもありて、誠に珍しからずといえども、然りといえども日本男子はこの西洋社会の醜行醜聞を見聞して如何(いかん)の感をなすや。 これを醜なりとするか、はた美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は、ただその醜美の判断如何(いかん)の一点にあるのみ。  日本男子鉄面皮(てつめんぴ)なるも、その眼(がん)に映じて醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判断を得たり、然らば則(す なわ)ち何ぞその醜を去って美に就(つ)かざるや。本来醜美は自身の内に存するものにして、毫末(ごうまつ)も他に関係あるべからず。いやしくも我が一 身の内に美ならんか、身外(しんがい)満目(まんもく)の醜美は以て我が美を軽重(けいちょう)するに足らず。あるいはこれに反して我が身に一点の醜を 包蔵せんか、満天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我が醜を浄(きよ)むるに足らず、また恕(じょ)するに足らず。されば文明なる西洋諸国の 社会にもなお醜行の盛んなるを見聞したらば、幸いに取って以て自省の材料にこそ供すべけれ、いかに自儘(じまま)なる説を作るも、他の悪事を見て自家の 悪事を恕するの口実に用いんとするが如きは、我輩の断じて許さざる所なり。近く比喩(たとえ)を以てこれを示さんに、不品行によりて徳を害するも、虎列 剌(コレラ)毒に触れて身を害するも、その害は同様なるべし。然るに今虎列剌(コレラ)の流行に際して我が保身の法を如何(いかん)するや。天下の人皆 (みな)病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸国また然りとのことなれば、もはや我が身も自ら顧みるに遑(いとま)あらず、共にその毒に伝染し て広く世界の人と病苦死生を与(とも)にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛んなるに従っ て自ら戒むるの法もいよいよ綿密にして、謹慎に謹慎を加うるは、世界古今人情の常なり。人生の身体とその精神と、いずれをも軽しとしまた重しとすべから ざるはいうまでもなきことにして、今内行(ないこう)の不取締は、人倫の大本(たいほん)を破りて先ず精神を腐敗せしむるものなり。身体を犯すの病毒は これを恐るること非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きがためにとて自らこれを犯して罪を免れんとす。無稽(むけい)もまた甚 だしというべし。故にかの西洋家流が欧米の著書・新聞紙など読みてその陰所の醜を探り、ややもすればこれを公言して、以て冥々(めいめい)の間に自家の 醜を瞞着(まんちゃく)せんとするが如き工風(くふう)を運(めぐ)らすも、到底(とうてい)我輩の筆鋒を遁(のが)るるに路(みち)なきものと知るべ し。  日本男子の内行不取締は、その実(じつ)において既に厭(いと)うべきもの少なからざるなおその上に、古来習俗の久しき、醜を醜とせずして愧(は)ず るを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉(ろうぜき)無状(ぶじょう)の挙動を目して磊落(らいらく)と称し、赤面の中に自(おの)ずから 得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣(おもむき)を添えたるが如くに見え、 下等の民間においても、色は男の働きなどいう通語を生じて、かつて憚(はばか)る所なきは、その由来、けだし一朝一夕のことにあらず。我が王朝文弱の時 代にその風を成し、玉(たま)の盃(さかずき)底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙(かいしゃ)する所にして、爾後(じご)武家の世にあっ ては、戸外兵馬の事に忙(せ)わしくして内を修むるに遑(いとま)なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は深く 咎(とが)めざるのみならず、文化文政の頃に至りては治世の極度、儒もまた浮文(ふぶん)に流れて洒落(しゃらく)放胆を事とし、殊に三都の如きはその 最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵(そうえん)即ち不品行家の巣窟(そうくつ)とも名づくべき悪風を成し、遂に徳川を終わりて明治の新世界に変じ たれども、いわゆる洒落放胆の気風は今なお存して止(や)まず、かの洋学者流の如き、その学ぶ所の事柄は全く儒林の外にして、仮令(たと)え西洋の宗教 道徳門に入らざるも、その国人に接し、その言を聴き、その書を読み、その風俗を視察するときは、事の内実はともかくも、その表面のみにても、これを日本 の事態に比して大いに異なる所あるを発明し、大いに悟りて自ら新たにし、儒流洒落(しゃらく)の不品行を脱却して紳士の正(せい)に帰すべきはずなるに 、言行一切(いっさい)西洋流なるにもかかわらず、内行の一点に至りては純然たる旧日本人の本色を失わざるもの多し。けだし社会一般の習俗に制せられて 、醜を醜とするの明(めい)を失うたるものにして、あるいはこれを評し有心故造(ゆうしんこぞう)の罪にあらず、無心に悪を犯すの愚というも可ならん。 この点より見れば悪(にく)むべきにあらず、むしろ憐れむべきのみ。  前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻(しき)りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓( げいぎ)を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の 芸を演ずるの傍(かたわ)ら、往々言うべからざる醜行に身を汚(けが)し、ほとんど娼妓(しょうぎ)に等しき輩なれば、固(もと)より貴人の前に面すべ き身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤(いや)しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌 舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこ ともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生にお いて、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦(よろこ)び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清 上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎(とが)めずして、我が習俗の不 取締にして人心の穎敏(えいびん)ならざるを歎息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一 点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座(ござ)に出されぬ下郎(げろう)と称して可なるが如し。花柳(かりゅう)の間に 奔々(ほんぽん)して青楼(せいろう)の酒に酔い、別荘妾宅(しょうたく)の会宴に出入(でいり)の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大 切なる用談も、酒を飲み妓(ぎ)に戯るるの傍(かたわ)らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由(よし)なしという。醜極まりて奇と称すべし。  数百年来の習俗なれば、これを酷に咎(とが)むるは無益の談に似たれども、今の日本は、これ日本国中の日本にあらずして、世界万国に対する文明世界中 の日本なれば、いやしくも日本の栄誉を重んずる士人においては、少しく心する所のものなかるべからず。試みに一例を挙げて士人に問わん。君らがいわゆる 盛会に例の如く妓を聘(へい)し酒を飲み得々(とくとく)談笑するときは勿論、時としては親戚・朋友・男女団欒たる内宴の席においても、一座少しく興に 入るとき、盃盤(はいばん)を狼藉(ろうぜき)ならしむる者は、君らにあらずして誰(た)ぞや。その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面白しとし て恕(じょ)すべしといえども、座中ややもすれば三々五々の群(ぐん)を成して、その談、花街(かがい)柳巷(りゅうこう)の事に及ぶが如きは聞くに堪 えず。そもそもその花柳の談を喋々喃々(ちょうちょうなんなん)するは、何を談じ何を笑い、何を問い何を答うるや。別品(べっぴん)といい色男といい、 愉快といい失策というが如き、様々の怪語醜言を交え用いて、いかなる談話を成すや。酔狂喧嘩の殺風景なる、固(もと)より厭(いと)うべしといえども、 花柳談の陰醜なるは酔狂の比にあらざるなり。もしも外国人の中に、日本語に通ずること最も巧みにして、談話の意味は勿論、その語気の微妙なる部分までも 穎敏(えいびん)に解し得る者あるか、または日本人にして外国語を能(よ)くし、いかなる日本語にてもその真面目(しんめんもく)を外国語に写して毫( ごう)も誤らざる者ありて、君らの談話を一より十に至るまで遺(のこ)る所なく通弁しまた翻訳して、西洋文明国の中人以上、紳士貴女をしてこれを聴かし め、またその訳文を読ましめたらば、かの士女は果たして如何(いかん)の評を下すべきや。一切の事情をば問わずして、ただ喫驚(きっきょう)の余りに、 日本の紳士は下郎なりと放言し去ることならん。君らは斯(かか)る評論を被(こうむ)りて、果たして愧(は)ずる所なきか。  西洋諸国の上流紳士学者の集会に談笑自在なるも、果たして君らの如き醜語を放って憚(はばか)らざるものあるか、我輩の未だ知らざる所なり。けだし文 明の社会にはかつて聞かざる所の醜語にてありながら、君らが常にこれを語りて憚る所なきは、日本の事は外人の知らざる所なりとして、強いて自ら安んずる ことならんなれども、前節にいえる如く、今日の日本は世界に対するの日本なり、いやしくも国を国として栄辱の所在を知るものは、君らの言行について不平 なきを得ざるなり。また些細(ささい)の事なれども手近く一例を示さんに、『時事新報』紙上に折々英語を記して訳文を添えたる西洋の落語また滑稽談(こ っけいだん)の如きものは読者の知る所ならん。この文は西洋の新聞紙等より抜きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を撰(えら)ぶにあらざれば、時 々法外千万なる漫語放言もあれども、人生の内行に関するの醜談、即ち俗にいう下掛(しもがか)りのこととては、かつて一言もこれを見ず。その然る所以( ゆえん)は、訳者が心を用いて特に避けたるにあらずして、原書中を求めて斯(かか)る醜談に見当たらざればなり。今仮(かり)に西洋の原書を離れて、こ れに易(か)うるに日本流の落語滑稽を以てせんとして、その種類を集めたらばいかなるものを得(う)べきや。談柄(だんぺい)必ず肉体の区域に入りて、 見苦しく聞き苦しきものは十中の七、八なるべし。畢竟(ひっきょう)我が人文のなお未だ鄙陋(ひろう)を免れざるの証として見るべきものなり。然(しか )り而(しこう)してこの日本流の落語なりまた滑稽談なり、特に下等の民間に行わるる鄙陋(ひろう)なればなお恕(じょ)すべしといえども、堂々たる上 流の士君子と称する輩が、自ら鄙陋を犯してまた鄙陋を語り、醜臭を世界に放つが如きは、国民の標準たる士君子の徳義上において、遁(のが)るべからざる の罪というべし。  本編の趣旨は、初段の冒頭にもいえる如く、日本男児の品行を正し、その高きに過ぐる頭(かしら)を取って押さえ、男女(なんにょ)両性の地位に平均を 得せしめんとするの目的を以て論緒(ろんしょ)を開き、人間道徳の根本は夫婦の間にあり、世間の道徳論者が自愛博愛などとてその得失を論ずる者あれども 、本来私徳公徳の区別を知らざるものなれば、脩徳(しゅうとく)に前後緩急を誤ること多し、私徳は公徳の母にして、その私徳の根本は夫婦家(いえ)に居 (お)るの大倫にあり、然(しか)り而(しこう)して古来世の中の実際において、常にこの大倫を破る者は男子にして、我が日本国の如きはその最も甚だし きものなれば、多妻法、断じて許すべからず、斯(かか)る醜行を犯す者は、一家の不幸を醸(かも)して、禍(わざわい)を後世子孫に遺すのみならず、内 行不取締は醜聞を世界万国に放つものにして、自国の名声を害するの罪人なり云々とて、筆鋒の向かう所は専(もっぱ)ら男子にして、婦人の地位如何(いか ん)に論及したることなし。そもそも我が国の婦人を男子に比較するときは、全く地位を殊(こと)にし、居家(きょか)内実の権力はともかくも、戸外交際 の事に至りてはすべて男子のために専らにせられて、婦人は有れども無きに異ならず。特に男子が多妻の醜行を犯して婦人の情を痛ましむるが如き、ただに自 愛に偏するのみならず私曲私慾の最も甚だしきものにして、更に一言の弁論あるべからず。我輩は常に世の道徳論者の言を聞き、論者が特にこの大切なる一点 をば軽々(けいけい)看過してあたかも不問に附する者多きを見て窃(ひそ)かに怪しむのみか、その無識を冷笑するほどの次第なれば、大いに婦人の地位を 推(お)してこれを高処に進め、以て男子に拮抗(きっこう)せしめんとするの考案なきにあらず。徹頭徹尾、今の婦人と今の男子とを相対照して今の関係に あらしむるは、我輩のあくまでも悦(よろこ)ばざる所なれども、眼を転じて一方より考うれば、本来物の高低・強弱・大小等は相対の関係にして絶対の義に あらず。高きものあればこそ低きものもあり、強大あればこそ小弱もあり。故に今、婦人の地位を低しというも、男子の地位を引下げて併行(へいこう)する に至らしむれば、男女の権力平等なりというべし。あるいは婦人は今のままにして、男子の地位をして一層の下に就(つ)かしむれば、女権特に高しというべ し。これ即ち我輩が独り男子を目的にして論鋒を差向けたる所以(ゆえん)なり。  然るにここに支那学の古流に従って、女子のために特に定めたる教義あり。その義は諸書に記して多き中について、我が国普通の書を『女大学』と称し、女 教の大要を陳(の)べたるものなるが、書中往々不都合にして解すべからざるものなきにあらず。例えば女子の天性を男子よりも劣るものと認(したた)め、 女は陰性(いんしょう)なり、陰は暗しなど、漠然たる精神論を根本にして説を立つるが如きは、妄漫無稽(ぼうまんむけい)と称すべきなれども、その他は 大抵皆(みな)女子を戒めたる言の濃厚なるものに過ぎず。我輩がかつて戯れに古人の教えを評し、町家の売物に懸直(かけね)あるが如しといいしもこの辺 の意味にして、『女大学』の濃厚苛刻(かこく)なる文面を正面より受取り、その極端を行わんとするは、とても実際に叶(かな)わざることなれども、さり とて教えの言として見れば道理に差支(さしつかえ)あるべからず、ただ独り女子のみを責むることなく、男子をもこの教えの範囲内に入れて慎む所あらしむ れば、その主義甚(はなは)だ美なるもの多し。  例えばその文の大意に嫉妬の心あるべからずというも、片落(かたおち)に婦人のみを責むればこそ不都合なれども、男女双方の心得としては争うべからざ るの格言なるべし。また姦(かしま)しく多言(たげん)するなかれ、漫(みだ)りに外出するなかれというも、男女共にその程度を過ぐるは誉(ほ)むべき ことにあらず。また巫覡(ふけん)に迷うべからず、衣服分限(ぶんげん)に従うべし、年少(わか)きとき男子と猥(な)れ猥れしくすべからず云々は最も 可なり。また夫(おっと)を主人として敬うべしというは、女子より言を立てて一方に偏するが故に不都合なるのみ。けだし主人とするとは敬礼の極度を表し たるものなれば、男子の方より婦人に対し、夫婦の間は必ず敬礼を尽し、ただにその内君(ないくん)を親愛するのみならず、時としては君に事(つか)うる の礼を以てこれを接すべしといえば、夫を主人とするの語も、また差支なかるべし。されば我輩、婦人の地位を高くするの議論は満腹溢(あふ)るるが如くに して、自(おの)ずからその方便もなきにあらずといえども、これは他日に譲り、今日の目的は今の婦人の地位をばそのままに差置き、『女大学』をも大抵の 処まではこれを潰(つぶ)さずして、かえって男子をしてこの『女大学』の主義に従わしめ、以て男子の品行を糺(ただ)して双方を併行(へいこう)の点に 維持せんとするにあるものなり。  今その然る所以(ゆえん)の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは、男子に対して低きことなれば、これを引上げて高き処に置かんとするに当たり、第一 着に心頭に浮ぶものは、とにかくに、今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然(しか)り而(しこう)してその男子の如くなるや 、知識気力の深浅強弱如何(いかん)の辺に止(とど)まり、専(もっぱ)ら精神を練るの教えを主として、当局の婦人においても、その範囲を脱せざれば甚 だ佳(よ)しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を装い、交際 を開いて文明の盛事を学び、只管(ひたすら)外国婦人の所業に傚(なろ)うて活溌(かっぱつ)を気取り、外面の虚飾を張りてかえって裏面の実を忘れ、活 溌は漸(ようや)く不作法に変じ、虚飾は遂に家計を寒からしめ、未だ西洋文明の精神を得ずして、早く既に自家遺伝の美徳美風を失うことなきを期すべから ず。これらの弊害は事物の新旧交代の際に多少免るべからざるものとしてこれを忍ぶも、ここに忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の 挙動に傚(なら)わんとして、今の日本男子の品行を学ぶが如きあらばこれを如何(いかん)すべきや。日本国人の品行美ならずといえども、なお今日までに これを維持してその醜を蔽(おお)い、時として潔清(けっせい)義烈(ぎれつ)の光を放って我が社会の栄誉を地に落つることなからしめたるものは何ぞや 。ただ良家の婦人女子あるのみ。現に今日にあっても私徳品行の一点に至り、我が日本の婦人と西洋諸国の婦人と相対するときは、我に愧(は)ずる所なきの みならず、往々上乗(じょうじょう)に位(くらい)して、かの婦人の能(よ)くせざる所を能くし、その堪えざる所に堪え、彼をして慚死(ざんし)せしむ るものさえ少なからず。内外人の共に許す所にして、即ち我が大日本の国光として誇るべきものなり。もしも年来日本男子をしてその醜行を恣(ほしいまま) にせしめて、一方に良家婦徳の凜然(りんぜん)たるものなからしめなば、我が社会はほとんど暗黒世界たるべきはずなるに、幸いにしてその然(しか)らざ るは、これを良婦人の賜(たまもの)といわざるを得ず。  然るに今日において、未だ男子の奔逸(ほんいつ)を縛(ばく)するの縄は得ずして、先ずこの良家の婦女子を誘(いざの)うて有形の文明に入らしめんと す、果たして危険なかるべきや。居(きょ)は志(し)を移すという。婦女子の精神未(いま)だ堅固ならざる者を率いて有形の文明に導くは、その居(きょ )を変ずるものなり。その居既(すで)に変じてその志(し)はいかに移るべきや。近く喩(たと)えを取り、今日の婦人女子をして、その良人(りょうじん )父兄の品行を学ぶことあらしめたらばこれを如何(いかん)せん。試みに男子の胸裡(きょうり)にその次第の図面を画(えが)き、我が妻女がまさしく我 に傚(なら)い、我が花柳に耽(ふけ)ると同時に彼らは緑陰に戯れ、昨夜自分は深更(しんこう)家に帰りて面目(めんぼく)なかりしが、今夜は妻女何処 (いずく)に行きしや、その場所さえ分明ならずなどの奇談もあるべしと想像したらば、さすがに磊落(らいらく)なる男子も慚愧(ざんき)に堪えざるのみ ならず、これは世教(せいきょう)のために大変なりとて、自ら悚然(しょうぜん)たることならん。然るに婦女子の志の有形無心の文明に誘(いざな)われ て漸(ようや)く活溌に移るの最中、あるいはこの想像画をして実ならしむるなきを期すべからず、恐るべきにあらずや。男子の不品行は既に日本国の禍源た り、これに加うるに女子の不品行を以てす、国のために不幸を二重にするものというべし。男子社会の不品行にして忌憚(きたん)するなきその有様は、火の 方(まさ)に燃ゆるが如し。徳教の急務は百事を抛(なげう)ち先ずこの火を消すにあるのみ。婦人の地位を高尚にするの新案は、あたかも我が国未曾有(み ぞう)の家屋を新築するものにして、我輩固(もと)より意見を同じうするのみならず、敢えて発起者中の一部分を以て自ら居(お)る者なれども、満目(ま んもく)焔々(えんえん)たる大火の消防に忙(せ)わしくして、なお未だ新築に遑(いとま)あらず。故に今後は、我輩の筆力のあらん限り、読者と共にこ の消防法に従事して、先ず婦人の居(きょ)を安からしめ、漸(ようや)くその改良に着手せんと欲するものなり。 __________________________________________________________________ 底本:「福沢諭吉家族論集」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年6月16日第1刷発行 底本の親本:「福沢諭吉選集 第9巻」岩波書店    1981(昭和56)年1月26日第1刷発行 初出:「時事新報」時事新報社    1888(明治21)年1月13日〜24日 入力:田中哲郎 校正:うきき 2009年1月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたった のは、ボランティアの皆さんです。 __________________________________________________________________ ●表記について * このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。