Fichier de travail (INPUT) : ./CONTEXTES/espace.txt
Encodage utilisé (INPUT) : UTF-8
Forme recherchée : 家庭|家族|(F|f)am(í|i)lia(s?)
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Ligne n°26 : ... 私 の 生れ た の は 弘 化 四 年 四月 十 五 日 で あっ た 。 代々 伊予 松山 藩 の 士 で 、 父 を 内藤 房 之 進 同人 ( と も ざね ) と いっ た 。 同人 と は 妙 な 名 で ある が 、 これ は 易 の 卦- Ligne n°27 : から 取っ た の で ある 。 母 は 八 十 ( や そ ) と いっ た 。 私 は 長男 で 助 之 進 と いっ た 。 その 頃 父 は 家族 を 携え て 江戸 の 藩邸 に 住ん で い た ので 、 私 は この 江戸 で 産声 を
Ligne n°28 : あげ た の で あっ た 。 幕府 の 頃 は 二 百 六 十 大名 は 皆 参勤交代 と いっ て 、 一 年 は 江戸 に 住み 次 の 一 年 は 藩 地 に 住ん だ 。 そして 大名 の 家族 は 江戸 に 住ん で い た 。 それ ...
Ligne n°27 : ... から 取っ た の で ある 。 母 は 八 十 ( や そ ) と いっ た 。 私 は 長男 で 助 之 進 と いっ た 。 その 頃 父 は 家族 を 携え て 江戸 の 藩邸 に 住ん で い た ので 、 私 は この 江戸 で 産声 を- Ligne n°28 : あげ た の で あっ た 。 幕府 の 頃 は 二 百 六 十 大名 は 皆 参勤交代 と いっ て 、 一 年 は 江戸 に 住み 次 の 一 年 は 藩 地 に 住ん だ 。 そして 大名 の 家族 は 江戸 に 住ん で い た 。 それ
Ligne n°29 : に 準じ て 家来 も 沢山 江戸 藩邸 に 居 た 。 その 中 で 単身 国許 から 一 年 交代 で 勤め に 出る の も あり 、 また 家族 を 引連れ て 、 一 年 交代 で なく 或 る 時期 まで 江戸 藩邸 に 住 ...
Ligne n°28 : ... あげ た の で あっ た 。 幕府 の 頃 は 二 百 六 十 大名 は 皆 参勤交代 と いっ て 、 一 年 は 江戸 に 住み 次 の 一 年 は 藩 地 に 住ん だ 。 そして 大名 の 家族 は 江戸 に 住ん で い た 。 それ- Ligne n°29 : に 準じ て 家来 も 沢山 江戸 藩邸 に 居 た 。 その 中 で 単身 国許 から 一 年 交代 で 勤め に 出る の も あり 、 また 家族 を 引連れ て 、 一 年 交代 で なく 或 る 時期 まで 江戸 藩邸 に 住
Ligne n°30 : むのもあった 。 前者 を 勤番 ( きん ばん ) と いい 、 後者 を 常 府 ( じょうふ ) と いっ た 。 私 の 父 は 弘 化 三 年 の 冬 に この 常 府 を 命ぜ られ 、 松山 から 引越し て 江戸 へ 出 ...
Ligne n°112 : ... ざき ) 座 を 見せ た 。 その 時 継母 が 持っ て 帰っ た 、 番 附 や 鸚鵡 石 ( おうむ いし ) を 後 に 見る と 、 その 時 の 狂言 は 八 代目 団 十 郎 の 児雷也 ( じらい や ) で あっ た 。 こ- Ligne n°113 : の 時 継母 と 同行 し た の は 山本 の 家族 で あっ た 。 それから 母 に のみ 見せ て 祖母 など に 見せ ない の は 気の毒 だ と いう ので 、 父 は 大 奮発 し て 、 更に 曾祖母 と 祖母 を 見
Ligne n°114 : せ に やっ た 。 私 は その 時 ついて行っ た 。 これ が 私 の 芝居 見物 の 始まり で あっ た 。 同伴 し た の は 心安い 医者 など や 、 上屋敷 に い た 常 府 の 婆 連 で 、 桝 ( ます ) を 二 ...
Ligne n°135 : ... なかっ た 。- Ligne n°136 : 十 一 歳 で 家族 一同 松山 へ 帰る こと に なっ た が 、 その間 に 私 の 家族 が 大 芝居 を 見 た という の は 、 唯 この 各 ( おの お ) の 一 回 のみ で あっ た 。 その 頃 の 藩士 の 生活
- Ligne n°136 : 十 一 歳 で 家族 一同 松山 へ 帰る こと に なっ た が 、 その間 に 私 の 家族 が 大 芝居 を 見 た という の は 、 唯 この 各 ( おの お ) の 一 回 のみ で あっ た 。 その 頃 の 藩士 の 生活
Ligne n°137 : は 、 国 もと の 方 で も 藩邸 で も 極めて 質素 な もの で 、 そう せ ね ば 家 禄 で は 足り なかっ た 。 ...
Ligne n°137 : ... は 、 国 もと の 方 で も 藩邸 で も 極めて 質素 な もの で 、 そう せ ね ば 家 禄 で は 足り なかっ た 。- Ligne n°138 : かく の 如く 十 年間 に 唯 一 回 の 大 芝居 見物 で も 、 家族 は 非常 に 満足 し 、 また これ だけ の 事 が 父 の 大 奮発 で あっ た ので 、 まことに 大 芝居 を 見る という 事 は 容易 な
Ligne n°139 : 事 で は なかっ た 、 小 芝居 に なる と 、 祖母 など も その後 時々 行っ て 、 その 都度 私 も 伴わ れ た 。 ...
Ligne n°242 : ... っ た 。 それで 弁当 だけ は 飯倉 から 遠回り を する こと に なっ て い た 。 しかし 少し の 賄賂 を 使う と なまぐさ の 入っ た 弁当 も 無事 に 通る こと が 出来 た 。- Ligne n°243 : 私 も 家族 に 連れ られ て 増上寺 境内 は 度々 通っ た 。 怖い 心持 が いつも し た 。 あの 赤 羽 から 這入る と 左側 に 閻魔堂 が ある 。 あれ も 怖かっ た 。 長 じ て 後 も その 習慣
Ligne n°244 : で 、 あの 閻魔堂 の 前 は 快く 通る こと は 出来 ない 。 その 隣 に 瘡 守 ( かさ も り ) 稲荷 が あっ て 、 天井 に 墨絵 の 龍 が 描い て あっ た 。 それ も 気味が悪かっ た 。 この 稲荷 ...
Ligne n°252 : ... 為 でも する と 、 藩主 の 首尾 に も 関係 する から 、 各 藩主 が 禁じ て い た の で ある 。- Ligne n°253 : 藩邸 内 に 住ん で いる 者 の 外出 について 話し て みれ ば 、 まず 私 ども の 如く 家族 を 携え て 住ん でる 者 は 毎日 出 て も 差 支 ( さしつかえ ) 無い 。 夜 遅く 帰っ て も 許さ
Ligne n°254 : れ た 。 風呂 は 歴々 の 家 の 外 は 、 自宅 に 無い ので 、 邸 外 の 風呂屋 へ 行っ た 。 邸 内 に も 共用 の 風呂 は あっ た が 、 これ は 勤番 者 が 這入る ので 、 女 湯 という もの は 無 か ...
Ligne n°254 : ... れ た 。 風呂 は 歴々 の 家 の 外 は 、 自宅 に 無い ので 、 邸 外 の 風呂屋 へ 行っ た 。 邸 内 に も 共用 の 風呂 は あっ た が 、 これ は 勤番 者 が 這入る ので 、 女 湯 という もの は 無 か- Ligne n°255 : っ た 。 だから 内 の 家族 など は いつも 外 の 風呂 へ 行か ね ば なら なかっ た 。 宮寺 の 縁日 や 花見 など に も 私 ども は 度々 出かけ た が 、 しかし 朝 六つ時 より 早く 外出 する
Ligne n°256 : 事 は 出来 なかっ た 。 ...
Ligne n°284 : ... は 廿 四 日 の 愛宕 の 縁日 で 、 よく この 日 は 私 は 肩車 に 乗っ て 男坂 を 上っ た もの だ 。- Ligne n°285 : 常 府 の 者 の 家族 の 外出 は 比較的 自由 で あっ た が 、 勤番 者 は 、 田舎 侍 が 都会 の 悪風 に 染ま ぬ よう 、 また 少い 手当 で ある から 無 暗 ( むやみ ) に 使わ せ ぬ よう と の
Ligne n°286 : 意 も あっ て 、 毎月 四 回 より 上 は 邸 外 へ 出る こと は 許さ れ なかっ た 。 その 中 二 回 は 朝 から 暮 六 時 まで 、 二 回 は 昼 八 時 から 六 時 まで で あっ た 。 勤番 者 は これ を 楽し ...
Ligne n°355 : ... 私 の 父 は 、 後 に は 藩中 で むしろ 新 知識 の ある 方 で あっ た けれども 、 その 頃 に は 全く 旧套 を 守る 主義 で あっ た ので 、 激しい 衝突 を し た 結果 、 当時 目付 から 側 用- Ligne n°356 : 達 という 重い 役 に なっ て い た の を 忽ち 免ぜ られ て しまい 、 側役 の 礼式 という 身分 で 家族 を 引連れ て 藩 地 松山 に 帰る べき 運命 に なっ た 。 これ は 私 の 十 一 歳 の 時 で
Ligne n°357 : あっ た 。 ...
Ligne n°393 : ... いよいよ 一家 国許 へ 帰る こと に なっ た が 、 私 の 一家 は 皆 江戸 住 を あまり 好ま ず 、 始終 『 お 国 へ 帰り たい 帰り たい 』 と いっ て い た 。 しかし 父 は 段々 抜擢 さ れ て- Ligne n°394 : 藩政 上 に いよいよ 深く 関係 する よう に なっ た ので 帰れ なかっ た の が 、 幸 か 不幸 か 今度 は 前 に いっ た 事故 から 免役 と なっ て 帰る こと に なっ た の で ある 。 家族 等 は
Ligne n°395 : 免役 の 事 は 悲しん だ が 、 帰国 という 事 は 喜ん で 、 勇 しく 江戸 を 出発 し た 。 私 は 『 お 国 』 という 所 は どんな 所 だろ う と 思い つつ 辿っ て 行 ( いっ ) た 。 ...
Ligne n°449 : ... 侍 が 単身 で も また 一家 を 連れ て でも 、 旅 する 際 の 費用 は 、 決して 官 から 賜ら なかっ た 。 本来 知行 を 貰っ て いる という 事 は 何らかの 場合 に 公務 を 弁ずる という- Ligne n°450 : 請負 として 貰っ て いる ので 、 それ の 余力 で 家族 を 養う という 事 に なっ て い た ので 、 藩 の ため に 旅行 する も 公務 の 一部 で 、 旅費 は 家 禄 を以て 弁ぜ ね ば なら なかっ
Ligne n°451 : た の で ある 。 大名 の 参勤交代 で も その 通り で 皆 大名 の 自弁 で あっ た 。 大名 は その 上 に 、 時々 城 や その他 の 土木 工事 を 命ぜ られ 、 これら も 軍役 に 準じ て やはり 自 ...
Ligne n°452 : ... 弁 で せ ね ば なら なかっ た 。- Ligne n°453 : 藩 の 侍 の 如き 、 表向き は 余力 で 家族 を 養う という こと に なっ て い て も 、 実際 において は 家 禄 の 全部 を 使っ て やっと 家族 を 養っ て い た ので 、 旅 など する 時 に は
- Ligne n°453 : 藩 の 侍 の 如き 、 表向き は 余力 で 家族 を 養う という こと に なっ て い て も 、 実際 において は 家 禄 の 全部 を 使っ て やっと 家族 を 養っ て い た ので 、 旅 など する 時 に は
Ligne n°454 : 家 禄 の 前借 を し た もの で ある 。 また 別に 侍 中 の 共有 の 貯蓄 が あっ て 、 それ も 貰う こと に なっ て い た 。 そういう 次第 で ある から 手 を 詰め た 旅行 を せ ね ば なら ぬ の ...
Ligne n°716 : ... ゆえ 、 京都 あたり の 留守居 で も さ せ たら 、 少し は 角 が 取れる だろ う と の 考え から 、 こういう 役 を いい 付 かっ た 様子 で ある 。- Ligne n°717 : 京都 の 留守居 と いえ ば 、 禄 高 も 増し 、 よい 地位 で あり 、 首尾 直り の 上 から は 目出度 ( めで た ) いの で ある が 、 家族 等 は とかく 国 を 離れる こと を 厭 がり 、 江戸
Ligne n°718 : に 居 て さえ 帰り たい 帰り たい と いっ て い た ほど で ある から 、 今度 の 京 上り も 、 家族 等 の ため に は 憂 で あっ た の で ある 。 私 も 何だか やや 馴染ん だ この 藩 地 を 離れ ...
Ligne n°717 : ... 京都 の 留守居 と いえ ば 、 禄 高 も 増し 、 よい 地位 で あり 、 首尾 直り の 上 から は 目出度 ( めで た ) いの で ある が 、 家族 等 は とかく 国 を 離れる こと を 厭 がり 、 江戸- Ligne n°718 : に 居 て さえ 帰り たい 帰り たい と いっ て い た ほど で ある から 、 今度 の 京 上り も 、 家族 等 の ため に は 憂 で あっ た の で ある 。 私 も 何だか やや 馴染ん だ この 藩 地 を 離れ
Ligne n°719 : る の が 厭 な よう で あり 、 親友 と 別れる こと も 残惜しかっ た 。 ...
Ligne n°719 : ... る の が 厭 な よう で あり 、 親友 と 別れる こと も 残惜しかっ た 。- Ligne n°720 : 親類 等 が 遣っ て 来 て は 、 我々 家族 を 慰め 、 長い こと で は ある まい 、 そのうち また 藩 地 へ 帰る こと に なろ う 、 と 慰め た 。 父 は 別に 嬉しい とも 悲しい と も いわ ぬ
Ligne n°721 : 性分 で あっ た から 、 唯 黙っ て 京都 行き の 準備 を し た 。 唯 、 私 の 文武 の 修行 を 怠ら せる の を 残念 がっ て 、 長く なる よう なら 父 の 実家 へ 私 を 預け て 修行 さ せる こと ...
Ligne n°759 : ... を し て 『 お出まし 』 という 、 子供 心 に これら の 事 は 嬉しかっ た 。- Ligne n°760 : 節倹 を せ ね ば なら ぬ と いう ので 、 家族 は 物見 遊山 に 出 なかっ た 。 それ に 大 之 丞 の 次 の 弟 、 彦之助 が 京 に 上っ て から 胎毒 を 発し 、 頭 が 瘡蓋 ( かさぶた ) だらけ
Ligne n°761 : で お釈迦様 の よう に なり 、 膿 が 流れ 、 その 介抱 に 皆 力 を 尽し て い た 。 そのうち 皮癬 が 一家 に 伝播 し て 、 私 と 曾祖母 と の 外 は 皆 これ に 罹っ た 。 医者 は 彦之助 の 胎 ...
Ligne n°768 : ... と し た 饗応 を せ ね ば なら なかっ た 。 そのうち 滋賀 や 千 家 など は 稀 に 祇園 町 へ も 連れ て 行か ね ば なら なかっ た らしい 。- Ligne n°769 : 父 は 京都 に 着く と 、 まず 他 藩 の 留守居 に対して 、 ヒロメ の 宴 を 祇園 町 に 張っ た 。 その 翌日 、 祇園 町 から 菓子 を 贈っ て 来 た が 、 その 見事 な こと は 、 実に 家族 等
Ligne n°770 : の 目 を 驚かし た 。 ...
Ligne n°770 : ... の 目 を 驚かし た 。- Ligne n°771 : 父 は 役柄 と は いえ 、 絶えず 面白く 遊び うまい 物 を 食う ので 、 家族 に も 何 か 面白い 遊び を さ せよ う と 思い 、 出入 の 者 も 勧める ので 、 遂に 大 英断 で 、 四条 の 大芝
Ligne n°772 : 居 を 見せる という こと に なっ た 。 継母 は 彦之助 の 胎毒 が まだ 治ら ぬ ので 留守 を し 、 私 と 祖母 二 人 と 出入 商人 で 出かけ た 。 ...
Ligne n°789 : ... 今 も 忘れ ぬ 。 夕飯 は ちょっとした もの で あっ た 。 食事 は 江戸 に 比し て すべて 粗末 で あっ た が 、 菓子 は 立派 に 高 杯 ( たか つき ) に 沢山 盛ら れ て あっ た 。 出入 の 商- Ligne n°790 : 人 など は 時々 私 の 家族 など に 面白 可笑しく 話 を しかけ 、 役者 の 批評 など も し た 。 祖母 二 人 は さほど 芝居 の 趣味 を わから ぬ ので 、 ただ 役者 の 顔 を 珍 らし がっ て 眺
Ligne n°791 : め て い た 位 の こと で あっ た 。 ...
Ligne n°791 : ... め て い た 位 の こと で あっ た 。- Ligne n°792 : 父 が 京都 の 留守居 を 勤め た の は 八 ヶ月 で 、 翌年 の 夏 藩 地 へ 帰っ た ので 、 家族 が 京都 で 芝居 を 見 た という の は 唯 この 一 度 で あっ た 。 しかし 私 は 今 は 新京極 とい
Ligne n°793 : うそ の 頃 の 誓願寺 や 、 錦 小路 天神 、 蛸 ( たこ ) 薬師 、 道場 、 祇園 の 御 旅 に は 、 いろいろ の 興行 物 が あり 、 小 芝居 も し て い た ので 、 それ を 時々 覗い た 。 これ は 若 ...
Ligne n°799 : ... 使っ て 行っ た 。 そのうち 父 が この 事 について 私 に 異見 を し て 、 藩 地 に 居れ ば 文武 の 稽古 を す べき 身 で 、 そんな 所 へ ばかり 行っ て い て は いけ ない 、 と 戒め た 。- Ligne n°800 : こう 戒め た 父 が 、 役目 と は いえ 祇園 町 へ 頻り に 行く の で ある から 、 とかく 家庭 が 総て 上調子 で あっ た 。 家来 の うち 一 人 は 藩 地 に 居る 間 に 聊か 義太夫 の 稽古 を
Ligne n°801 : し て い た 。 京都 抱え の 若党 も 少し はやる ので 、 父 の 留守 に は 、 低 声 に 義太夫 を やる 。 私 も 好ん で そこ へ 行っ て 、 聞慣 れ 、 義太夫 本 も 読ん で 、 面白く なっ て 、 そ ...
Ligne n°808 : ... 町家 住居 を する と 、 夜 々 蕎麦 屋 が 、 『 うどん エ そば エハウ 』 と いっ て 売り に 来 た 。 温かく 煮 た 蕎麦 へ 山葵 が かけ て ある の を 、 寒い 頃 な ので 家来 が まず 食べ 始- Ligne n°809 : め て うまい うまい と いい 、 やがて 家族 も 食べ て 、 毎晩 上下 こもごも これ を 呼ん で 食べ た 。 この 位 の 事 は 、 祇園 通い を する 父 が もう 戒め 得 なかっ た 。
Ligne n°810 : そのうち 新年 に なっ た 。 春 駒 という もの が 来る 。 これ は 馬 の 頭 に 鈴 を つけ 、 それ に 手綱 を つけ て 打 振り 打 振り 三味線 で 囃し 、 それ が 済む と 、 ちょっとした 芝 ...
Ligne n°841 : ... た 。 『 それ に 及ば ぬ 』 と 父 は 答え て 、 外 の 芸子 を 呼び 舞子 も 呼ん だ 。 私 は この 時 『 小 縫 』 という 名 を 始め て 聞い た が 、 これ は 父 の 馴染 の 芸子 で あっ た 。 留守居- Ligne n°842 : 役 は 各 藩 共 馴染 の 芸子 を 有 ( も ) た ね ば なら ぬ の で ある が 、 今 私 が 附い て いる ので 、 家庭 の 都合 上 やむなく 、 外 の 芸子 で 間に合わ せ た もの と 見える 。 私 は この
Ligne n°843 : 時 始め て 芸子 や 舞子 を 見 た 。 どうも 祇園 町 という は 面白い 所 だ と 思っ た 。 ...
Ligne n°848 : ... ます から ちょっと 行き ましょ う 』 など と いっ た が 、 父 は 応じ なかっ た 。- Ligne n°849 : 帰 藩 について は 、 元来 なら 行列 を 立て て 伏見 まで 下る べき で ある が 、 節倹 主義 から 、 高瀬舟 に 家族 も 荷物 も のせ て 下る こと に し た 。 あまり 見苦しい から 止せ
Ligne n°850 : という 人 も あっ た が 、 父 は 平気 で 実行 し た 。 この 頃 高瀬川 の 上流 は 田 へ 水 を 引く ため に 水 が 流れ て い なかっ た ので 、 特別 に 金 を 出し て 堰 を 切っ て もらい 、 三条 ...
Ligne n°879 : ... この 私 の 邸 は 長く 住まわ ない で 、 その 年末 に は 城山 の 麓 の 堀の内 という 、 即ち 第 三 の 郭 中 へ 更に 邸 を 賜わっ た 。 これ は 父 の 実家 たる 菱田 と いう が 住ん で い た- Ligne n°880 : が 、 この 際 外 へ 移っ た ので 、 その 跡 を そのまま 賜わっ た の で ある 。 これ も かなり 旧い 邸 で は あっ た が 、 傘 屋 町 の もの に 比すれ ば 、 聊か 好い ので 、 家族 等 も 少々
Ligne n°881 : 安 ん じ た 。 この 邸 は 南堀 に 沿う た 土手 の 下 で 、 土手 の 上 に は 並松 が 植 って いる し 、 裏面 に は 櫨 ( はぜ ) の 木 が 植 って い た 。 紅葉 する 頃 に なる と 坐っ て い て それ ...
Ligne n°1090 : ... なっ た ので 、 藩 の 世子 も その 警衛 として 江戸 から 京都 へ 上っ た 。 そこで 私 の 父 も その 供 を し て 、 世子 が 公武 の 間 に 立ち いろいろ な 勤務 を せら るる ため に 、 父 も- Ligne n°1091 : 一層 配慮 し た 事 で あっ た 。 それで 聊か の 風邪 等 も 押し て 奔走 し て い た 結果 、 遂に 熱病 に 罹っ て 段々 と 重態 に 陥っ た 。 この 事 が 藩 地 の 私 ども 家族 の 者 へ も 伝わっ
Ligne n°1092 : た ので 、 一同 大いに 心配 し て 私 は 既に 十 七 歳 に 成っ て い た から 、 単身 父 の 看病 に 京都 へ 赴く こと に なっ た 。 ...
Ligne n°1093 : ... 一体 、 藩士 において は 私用 の 旅行 は 一切 なら ぬ 事 に なっ て い た から 、 同じ 伊予 の 国内 で 僅か 三里 隔 る 大洲 領内 へ さえ 、 一 歩 も 踏込む 事 は 出来 なかっ た ので あ- Ligne n°1094 : る 。 まして 遠方 へ 旅行 する など は 、 勤務 し て いる 者 は 勿論 、 その 子弟 で は 家族 の 婦人 で も 一切 出来 ぬ こと で あっ た 。 が 、 ここ に 取 のけ が ある 。 それ は 神仏 の 参
Ligne n°1095 : 詣 、 即ち 伊勢大 神宮 とか 、 隣国 の 讃岐 の 金比羅 とか へ の 参詣 は 、 特に 願っ て 往復 幾 日 か の 旅程 を 定め 旅行 を 許さ れる 事 が あっ た 。 その他 父母 の 病気 が 重態 で 、 ...
Ligne n°1095 : ... 詣 、 即ち 伊勢大 神宮 とか 、 隣国 の 讃岐 の 金比羅 とか へ の 参詣 は 、 特に 願っ て 往復 幾 日 か の 旅程 を 定め 旅行 を 許さ れる 事 が あっ た 。 その他 父母 の 病気 が 重態 で 、- Ligne n°1096 : 看護 を 要する という 場合 を 限り 、 その 父母 の 居る 地 へ 旅行 する 事 が 出来る ので 、 これ は 勤務 し て いる 者 を 初め 、 一般 家族 に も 許さ れ て い た の で ある 。 しかし 婦
Ligne n°1097 : 人 は 誰 も し た 例 が ない が 、 男子 に し て 十 五 歳 以上 に も 達し て いれ ば 、 是非 看病 に 行か ね ば なら ぬ 位 の 習慣 に なっ て い た 。 ...
Ligne n°1098 : ... そこで 私 も いよいよ この 旅行 を する 事 に なっ た が 、 前 に いっ た 十 一 歳 で 江戸 から 帰り 、 その 年 から 翌年 へ かけ て 京都 の 往来 を し た 外 に は 久しく 旅行 する 事 も- Ligne n°1099 : なく 、 また これら の 旅 は 父 を 初め 家族 が 同行 し た の で ある に 、 今度 は 独行 せ なけれ ば なら ぬ 。 今日 で は 藩 地 から 京都 へ は 一 日 足らず に 達する 事 も 出来よ う が 、
Ligne n°1100 : その 頃 は 船 の 都合 が 好く て も 四 、 五 日 、 もし 悪けれ ば 十 日 も 二 十 日 も 日数 が 掛る の で あっ た 。 そして 百 里 以上 の 海陸 を 経る こと で ある 故 、 旅 慣れ ぬ 私 は 、 何だ ...
Ligne n°1294 : ... は 憚 られ て 、 『 助 さん が 居る 』 とか 、 『 助 さん に 聞える 』 とか いっ て 、 何ら 腕力 も なく 武芸 も 劣等 な もの ながら 、 どう かこう か 好い 境遇 を 得 て い た の で ある 。- Ligne n°1295 : ついでに いう が 、 右 の 如く 市中 へ 肉 など 買い に 行く という 事 は 、 婢僕 を 使っ て いる 士分 の 家 で は 主人 は 勿論 家族 で も 多く は せ なかっ た 。 もし 買う 事 が あれ ば
Ligne n°1296 : 、 僕 を 遣わす か 、 あるいは 宅 に 呼び寄せ て 買う ので 、 呉服 小間物 類 は 別 として 、 そう し て い た 。 そこで 私 は 父 の 役目 も ある から 一層 この 束縛 に 就い て い た の だ ...
Ligne n°1507 : ... で ある が 、 毛利 家 が 恭順 し た ので 、 間もなく 帰陣 せら れ た 。 そこで この 度 は 世子 が 藩主 に 代っ て 出陣 し たい と 幕 布 に 願い 、 許可 を 得 られ た ので 、 まず 三津 浜 ま- Ligne n°1508 : で 出向 し て 本陣 を すえ られ た 。 私 も その 際 家族 と 別盃 を 酌ん で いよいよ 生死 の 別れ を し た 。 三津 浜 で は 藩 の 船 番所 を 世子 の 御座所 と なし 、 我々 は 町 の 人家 を 徴
Ligne n°1509 : 発し て 下宿 し た 。 これ も 今日 の 俳句 生活 と 一つ の 関係 だ が 、 私 の 下宿 は 木綿 糸 の 糸車 を 造る 老人 夫婦 の 小さな 家 で あっ て 、 この 老人 は 発句 を 作っ て 何とか の 俳 ...
Ligne n°1554 : ... かも 知れ ぬ と いう ので 、 海岸 の 要 所要 所 へ 俄 造り の 砲台 を 構え て 、 新古 取 交ぜ の 大砲 を 据え付け て 、 幾らか の 兵 を 配置 し た 。 尤も 三津 浜 に は 早く より 不充分 な- Ligne n°1555 : がら 砲台 が 出来 て い て 、 三 十 六 磅 ( ポンド ) という 大砲 を すえ 付け て い た 。 私 ども の いる 辻 、 沢村 は 城下 と 目 と 鼻 の 間 で ある が 、 それでも 家族 の 往来 は 勿論 、
Ligne n°1556 : 書状 の 一 通 も 取交せ は せ ない 。 これ は 武門 の 習い で 、 出陣 すれ ば 全く 家 の こと を 忘れる という こと から 来 た の だ 。 けれども 家来 など の 使い は 漸 々 と 往来 する こ ...
Ligne n°1558 : ... そのうち 家茂 将軍 は 薨去 せ られる し 、 孝明天皇 も 崩御 遊ばさ れ た ので 、 休 兵 という 達し が あっ た から 、 世子 も 終に 城下 へ 引揚 げ られ て 、 二の丸 へ 帰 住 せら れ- Ligne n°1559 : た 。 そう し て 我々 も 自宅 へ 帰っ て 再び 家族 に 対面 し た 。 けれども 自分 も 戦 ( いくさ ) に 負け て 帰っ た よう な 姿 な ので 、 浮き浮き せ ず 祖母 始め の 顔 を 見 て も 別に
Ligne n°1560 : 嬉しく も なかっ た 。 それから われわれ の 勤務 上 も 常 より 多く の 数 で 二の丸 へ 詰め た 。 その 外 の 役 々 を 始め 諸 士 も 二の丸 、 三の丸 に 大勢 詰め て 、 これら の 人々 は ...
Ligne n°1636 : ... の で ある から 、 私 の 家 も かかる 運命 に 遇わ ね ば なら ぬ の だ が 、 父 は 長年 藩政 に 勤労 し て いる ので 、 特に 父 が 万一 の こと が あれ ば 、 目付 支配 の 譴責 を 解い て 、 家- Ligne n°1637 : 名 断絶 の 不幸 を 免れ しめ たい という 藩 庁 の 内議 で あっ た らしい 。 かつ この 内達 は 、 父 に も 聞か せ て 安心 さ せよ と の 申し 添え も あっ た 。 それら の ため 家族 は 心配
Ligne n°1638 : 中 に も 藩主 の 思召 や 、 当局 者 の 厚意 に 意 を 強う する 所 も あっ た 。 しかるに 幸 に し て 父 の 病 は 快方 に 向っ て 、 歳末 頃 は 病床 に は い た が 、 もう 大丈夫 という こと に ...
Ligne n°1642 : ... 、 間接 に 慰藉 さ れる お 心 でも あっ たろ う か 。 さ すれ ば 私 は これ に対して 大 に 奮発 し 、 この 学 を 十分 研究 す べき はず で あっ た が 、 漢学 仕込み の 私 の 頭 は 何だか ま- Ligne n°1643 : だ 夷狄 の 学問 を 忌み嫌い 、 その他 家庭 の 事情 に も ほだされ た ので 、 遂に 平常 信仰 する 彼 の 大原 先生 に 縋っ て 、 右 の ありがたい 恩命 を 辞し て しまっ た 。 そういう
Ligne n°1644 : と 可笑しい が 、 学才 に は 富む 私 だ から 、 この 慶応 時代 から 外国 の 学問 を し て い たら 、 爾来 かなり の 大家 に は なっ て は いよ う 。 しかし その ため 今日 の 俳人 鳴雪 と ...
Ligne n°1998 : ... を 決行 し た の は 前年 の 閏 十月 で あっ た 。 その 大要 を いえ ば 、 従来 の 門閥 を 悉く 廃止 し 、 最近 の 位置 の 等差 に 依っ て 、 一等 士 から 十 等 士 まで の 待遇 を 与え 、 従来- Ligne n°1999 : の 士分 と 徒士 と 、 これ に 准ずる 十 五 人組 と を 一般に 士族 と 呼び 、 士分 以上 を 旧 士族 、 それ 以下 を 新 士族 と 分け た 。 旧 士族 は 一家 に 付 二 十 俵 と 、 家族 一 人 に 付 一
Ligne n°2000 : 人 半 扶持 を 与え 、 新 士族 は 一家 に 付 十 俵 家族 一 人 に 付 一 人 扶持 を 与え た 。 従って 三 千 石 の 家老 も 、 九 石 三 人 扶持 という 最下 等 の 士 も 、 士分 は 同じ 収入 と なっ た ...
Ligne n°1999 : ... の 士分 と 徒士 と 、 これ に 准ずる 十 五 人組 と を 一般に 士族 と 呼び 、 士分 以上 を 旧 士族 、 それ 以下 を 新 士族 と 分け た 。 旧 士族 は 一家 に 付 二 十 俵 と 、 家族 一 人 に 付 一- Ligne n°2000 : 人 半 扶持 を 与え 、 新 士族 は 一家 に 付 十 俵 家族 一 人 に 付 一 人 扶持 を 与え た 。 従って 三 千 石 の 家老 も 、 九 石 三 人 扶持 という 最下 等 の 士 も 、 士分 は 同じ 収入 と なっ た
Ligne n°2001 : の で ある から 、 随分 一同 を 驚 ろか せ た 。 尤も その 際 一 時 に 一 箇年 分 の 家 禄 は 等差 に 応じ て 特別 に 渡し た の で ある 。 それから 今 いっ た 十 五 人組 以下 の 無 格 、 持 筒 ...
Ligne n°2069 : ... 牙 ( どい ご う が ) 氏 や その他 画家 など を 召さ れ て 、 藤堂 知事 公 も 臨席 し て 酒盃 を 取 交わさ れ た という 事 で ある 。 この 伊勢 から 戻っ て 間もなく 父 は 隠居 を 願っ て- Ligne n°2070 : 、 家督 を 私 へ 譲っ た 。 家督 と いっ て も 以前 なら 、 家 禄 が ある の だ が 、 この 頃 は 最 う 士族 一般 が 平均 禄 で 、 前 に も いっ た 、 一家 につき 廿 俵 と 家族 一 人 につき 一 人
Ligne n°2071 : 半 扶持 と を 先代 の 如く もらう のみ で ある 。 尤も 私 は 権 少 参事 を 勤め て いる から 、 この 年俸 は 別 に 貰っ て い た 。 父 は 隠居 と共に 櫨 陰 と 号 し て 、 それ から は もっ ぱ ...
Ligne n°2180 : ... 坐 敷 を 借り て 寓居 し た 。 三 度 の 食事 は その 頃 始まっ て い た 、 常 平 舎 と いう から 弁当 の 仕出し を さ せ た 。 この 常 平 舎 は 東京 到る 所 に あっ て 頗る 書生 ども に 便 を 与- Ligne n°2181 : え た 。 中 に は 一 家族 が 煮 炊 の 煩累 を 避け て この 常 平 弁当 を 喰 べ る 者 も ある と さえ 聞い た 。 この 新 銭座 に 居 た 頃 忘れ も せ ぬ の は 年越し の 晩 で あっ た が 、 つい 近傍
Ligne n°2182 : の 浜松 町 の 寄席 へ 由井 氏 と共に 行っ た 。 影絵 の 興行 で 、 折々 見物 の 席 も 真 闇 と なる 、 そこで その 真 闇 が 明るく なっ た 際 、 気 が 付い て 見る と 私 の 懐中 が ない 。 今 ...
Ligne n°2227 : ... 浜 に 一泊 し て 翌日 帰宅 し た 。- Ligne n°2228 : 私 の 宅 は 以前 の 如く 堀の内 の 士族 邸 だ が 、 召使 など も 凡て 暇 を やっ て 、 家族 で 炊事 も し て いる 。 父 は 最前 も いっ た 如く 邸 内 の 畠 打 を し て い た が 、 その 外 綿 繰
Ligne n°2229 : り と いっ て 、 実 の 交っ た 綿 を 小さな 器械 を 廻し て それ を 抜き 、 木綿 糸 を 績 ( つむ ) ぐ 下地 を する 賃仕事 が ある 、 それ を セッセ と し て い た 。 昨日 まで 家老 に 準ず ...
Ligne n°2303 : ... さて 住宅 について は 、 明治 七 年 頃 で あっ た 、 久しく 住ん で い た 堀内 の 邸 を 僅か ばかり に 売却 し 、 その 金 を以て 継母 かつ 妻 の 里 なる 二番 町 の 春日 の 長屋 を 借り- Ligne n°2304 : 修繕 を 加え て 、 かつて 同居 さ せ て い た 弟 薬 丸大 之 丞 の 家族 を も 引連れ て 移転 し た 。 その後 右 の 家 禄 返上 に 依っ て 下付 金 を 得 た ので 、 更に 春日 邸 の 一部 を 譲っ て
Ligne n°2305 : もらい 、 そこ へ 二 階 付 の 小 家屋 を 新築 し た 。 この 家屋 は 十 三 年 に 一家 東京 へ 移住 し て 後 は 人 に 貸し て 居っ た が 、 卅六年 段々 借財 が 出来 た から その 償却 の ため に ...
Ligne n°2450 : ... 大 書記官 の 赤川 ※[#「 韻 / 心 」 、 U + 2296 B 、 288 - 10 ] 介 氏 、 これ は 長州 人 で 別に 民権 主義 で も なかっ た が 、 長官 が 代る に そのまま 居る の も 、 難- Ligne n°2451 : 儀 だ と 思っ た もの か 、 転任 さ せ て もらう こと に なっ て 、 この 転任 先 き は 忘れ た が 、 とにかく 家族 を 連れ て 当地 を 発し て 東京 へ 赴か るる ので 、 私 も 家族 を 連れ て
- Ligne n°2451 : 儀 だ と 思っ た もの か 、 転任 さ せ て もらう こと に なっ て 、 この 転任 先 き は 忘れ た が 、 とにかく 家族 を 連れ て 当地 を 発し て 東京 へ 赴か るる ので 、 私 も 家族 を 連れ て
Ligne n°2452 : それ と 同行 し た 。 この 航海 は 神戸 から は 三菱 会社 の 船 の 東京 丸 と いう に 乗っ た 。 この 一月 に 上京 する 時 は 、 名古屋 丸 と いう に 乗っ た 。 いずれ も 米国 から 買入れ ...
Ligne n°2459 : ... 私 は この 年 の 歳末 に 、 久松 家 の 麻布 長 坂 の 別邸 へ 、 行く よう に と の 事 で あっ た から 、 そこ へ 移っ た 。 その 頃 は 東京 の 物価 も 余り 高く ない 時 で あっ た が 何しろ- Ligne n°2460 : 五 十 円 の 収入 が 四 十 円 に 減っ て 、 しかも 都会 生活 を し なけれ ば なら ぬ という の だ から 、 随分 困難 で あっ た 。 私 の 家庭 は 前 に も いっ た 、 長女 長男 の 外 に なお 次女
Ligne n°2461 : せい と いう を 挙げ て い た ので 、 その 頃 は 親子 五 人 の 暮らし で あっ た 。 それから ここ へ 来る と 文部省 へ は 一 里 と 十 丁 ばかり の 距離 で ある が 電車 も ない 時代 と て 、 ...
Ligne n°2462 : ... それ を 日々 歩い て 勤め た 。 衣服 も 多く は 唐桟 ( とう ざん ) に 嘉平 次 平 の 袴 位 を 着る し 、 あるいは 前 に いっ た 、 地方 官 会議 の 随行 の 時 新調 し た 、 モーニングコー- Ligne n°2463 : ト を 着る こと も あっ た 。 靴 は 半 靴 を 好ん で 穿い た 。 これ は 往来 の 遠い ため 早く 損じ て 度々 新調 し た もの で ある 。 それから 家族 の 衣食 も それ に 准 じ て 粗末 な もの
Ligne n°2464 : で 辛 棒 さ せ て 、 魚 や 肉 など は 余りに 買わ ない で 多く は 浅蜊 ( あさり ) や 蛤 ( はま ぐり ) または 鰯 売り 位 を 呼込ん で 副 菜 に し 、 あるいは 門前 の 空地 に 生い茂っ て ...
Ligne n°2735 : ... 弟 で も ある から 哀悼 を 表する 傍ら 、 その 作品 を 集め た もの が 即ち 古白 遺稿 で ある 。- Ligne n°2736 : それから 新海非風 氏 だ が 、 これ は 家庭 の 境遇 から 余り 学問 は し て い なかっ た が 、 天才 的 で 俳句 を 作る 才 は 時々 子規 氏 を も 驚 ろか し た 。 いわゆる せり 吟 に も 多
Ligne n°2737 : く 作っ て 多く の 佳 句 を 見せ て い た 。 そうして この 人 も 古白 氏 と共に 軟派 文士 肌 で 別に 資力 も ない 癖 に 吉原 通い を し て 或 る 妓 と 馴染 を 重ね た が 、 間もなく その 妓 ...
Ligne n°2865 : ... 機会 が あら ば 何 か 一つ の 仕事 を 見付 よう と し て い た の で ある に 、 支那人 と の 交際 に は 食卓 を 囲ん で 互に 一つ 器 の 食物 を 匙 で 喰い 合う よう な 事 から 、 終に 肺病 の- Ligne n°2866 : 黴菌 を 貰っ た 。 尤 我慢 な 奴 で あっ た から 、 なり たけ 寝る 事 も せ なかっ た が 、 終に 勤務 も 苦しく なり 、 先輩 から も 忠告 さ るる ので 帰朝 し て 、 家庭 で 養生 する 事 に
Ligne n°2867 : なっ た 。 けれども 少し よい と 、 いかに 止め て も 酒 を 飲む 、 外出 し て は 何 か 割 の 好い 仕事 を 求めよ う と する 、 そんな 事 で 一時 は いくら か 回復 しかけ た の も 、 終に ...
Ligne n°2877 : ... れ て 、 いわゆる 揮毫 料 が 手 に 入っ た ので 、 その 中 から 一番 奮発 し て 右 の 石碑 を 造る 事 に し た 。 尤も 両 児 は 屍 の まま 一 坪 の 墓地 へ 埋め た の で ある が 、 これから 私- Ligne n°2878 : は 勿論 段々 と 死ん で 行く 家族 も 、 屍 は 必ず 火葬 に し て 、 そして この 石碑 の 下 へ 骨 だけ を 葬る 事 と 極め た 。 そこで 墓石 の 下 に は 、 石 で 小さな 穴 倉 が 出来 て い て 、
Ligne n°2879 : まず 骨 壺 の 十 個 位 は 入れ 得る 事 に なっ て いる 。 年齢 から いっ て も 、 私 が まず この 穴 倉 の 最初 に 入る 、 それから 妻 や その他 が 附い て 来る ので 、 後 に は 随分 賑々し ...
Ligne n°2881 : ... なお 卅九年 で あっ た 、 常盤 会 寄宿舎 は 随分 古い 建物 で 、 間取り も 不便 だ という 事 から 、 久松 家 に も 改築 せ られる 考え も あっ た の だ が 、 日 露 戦争 の 騒ぎ など で- Ligne n°2882 : 、 延引 し て い た の を 、 いよいよ 決行 さ れる 事 に なっ た 。 この 改築 中 は 、 八 ヶ月 ばかり 私 は 四谷 の 荒木 町 に 移住 し て い た 。 この 頃 の 家庭 は 妻 と 末 の 男子 和行 のみ
Ligne n°2883 : で あっ た 。 長男 健 行 は 前 に いっ た 、 宮崎 県 より 更に 台湾 の 農事 試験場 に 転任 し て い た し 、 次男 の 惟行 は 北京 で 病み 付い た 頃 で ある から 宅 に は 居 ない 、 それから ...
Ligne n°2920 : ... ね の ある 事 が ない と も 限ら ぬ から 謹慎 さ せ て 置け と いう 事 で あっ た ので 、 与左衛門 は 以前 は 大目 付 とか を 勤め た と いっ て ある が 、 その後 は 何ら の 役目 を も 勤め- Ligne n°2921 : ぬ のみ か 、 家族 皆 謹慎 せら れ て 、 これ まで 禄 は 二 百 石 で あっ た の を 三 十 人 扶持 と 若党 と 下僕 の 給 米 を 支給 せ られる 事 に なっ た 。 これ が 四 十 年 も 続い て 、 二 代目
Ligne n°2922 : の 甚五兵 衛 勝則 に なっ て 余りに 長く 謹慎 し て いる ので 、 藩 の 当局 者 も 気の毒 に 思っ て 、 幕府 へ 伺っ たら あれ は 一時 の 事 で 、 そんなに 謹慎 さ せる に は 及ば なかっ ...
Ligne n°2930 : ... 信者 に なっ た 。 これ は 私 が 例 の 哲学 から の 悟り で 、 婦女子 に は 何らかの 宗教 心 が ある が よい と 思っ て い た から だ 。 けれども 先祖 の 嫌疑 を 私 の 代 に 至っ て 、 本物- Ligne n°2931 : に 吉利支丹 宗 を 家族 に 奉ぜ し むるに 至っ た の は 、 時世 の 変遷 と は いえ ちょっと 可笑しい 。
Ligne n°2932 : 私 が 単純 なる 俳句 の 選者 生活 に なっ て 後 は 、 別に 責任 と いう ほど の もの も 無く 、 段々 と この 生活 で は 多忙 に も なっ た けれど 、 今 まで の 如く 不得手 な 役目 を 担 ...
Ligne n°3039 : ... こんな 風 で 松山 は 引上げ て 、 この 帰途 に は 大阪 で 青木 月斗 氏 等 の 俳句 会 に 臨む 約 も ある し 、 また 奈良 見物 や 、 京都 近傍 の 三井寺 石山寺 等 の 参詣 も 期し て い た- Ligne n°3040 : の だ が 、 兵庫 へ 着く と 、 姪 の 婿 なる 市橋 俊之 助 が 停車場 に 来 て い て 、 流行 感冒 が 猖獗 で 家族 も 臥 蓐 し て いる と いっ た ので 、 その 須磨 へ も 一泊 せ ず 、 神戸 の 或 る
Ligne n°3041 : 旅 店 に 一泊 し た まま で 、 直に 東京 へ 急行 列車 で 帰っ て 来 た 。 老 夫婦 は 旅 中 で 流行 感冒 に 罹っ て は 大変 で ある から だ 。 ...