トランスジェンダーの人々を「精神疾患」と見なす医療規範。当事者がより良い医療を受けるためには?
緊急入院先の診察室で聞かされた医師の一言
4月上旬、意識がもうろうとしながら診察室で医師の診察を私は聴いていた。向精神薬とアルコールの離脱症状の兆候がみられ、救急入院でこの精神病院に来た私は藁にもすがる思いでいた。 一通りの身体検査の後、医師は私の「自分史」をかなり詳しく尋ねてきた。「自分史」というのは精神科医療においてジェンダー問題に特化したクリニック(通称、ジェンダー・クリニック)が患者にまず問う、自らのジェンダーの歴史である。 私は、ジェンダー・クリニックではない総合の精神病院でも「自分史」を聴いてくれるのかと、幼い頃から現在までの私のセクシュアリティやジェンダーの変転を伝えた-例えば、さまざまなジェンダー、セクシュアリティの人々と交際をもったこと、異性装をして曖昧な自分の性を他者に伝えるようにしていること。 すると医師は「普通は」と切り出して「男子は母親の愛情を同性に求めます。しかし、これは成功しません」、「そして複数人の依存できる同性の友人のグループを作ることができるようになり、初めて当人は母親から自立し、異性を愛せるようになります」、と言い、私の「自分史」に精神的異常を指摘した。 正直、最初は頭の理解が追い付かなかった。少なくとも、マイナー・トランキライザーが作用し、身体拘束を受けた閉鎖病棟の隔離室で私はやっと事態を飲み込んだ。端的に言えば、医師にとって私は「発達障害」という精神疾患なのである。定型的に発達してゆく「男子」がみせるセクシュアリティやジェンダーの発達ではないというのだ。 この医師の発言に基づくならば同性を愛し続ける人々(ex.L・G・B)はセクシュアリティの発達障害であり、ジェンダーのあり方を変えてゆく人々(ex.T)はジェンダーの発達障害だということができる。 L・G・B・Tは社会的な「性の多様性」の象徴であり、このような医療規範によって病理化されたものからは程遠いものだったのではないのか。ここでは、そんな疑問に特に国内の「トランスジェンダー」の(脱)病理化の流れから答えてみたい。