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トランスジェンダーの軍人と淑大合格者の往復書簡「社会が変わるのを一緒に見たい」

登録:2020-03-17 09:42 修正:2020-03-21 17:03
[差別禁止法は共に生きるための法律](2)性的マイノリティ差別 
淑大合格者のハン・ジュヨン「恐怖が包容に変わるように」 
予備役下士ピョン・ヒス「決してヘイトに負けない」
予備役下士のピョン・ヒスが法学科志望生のハン・ジュヨン(仮名)に書いた手紙=ピョン・ヒス提供//ハンギョレ新聞社

 「少しずつ削られていた心が結局自分を刺す刃になりました。こんな私が、茫々たる大海原にたった一人で投げ出されたような気持ちがしました」。22歳のハン・ジュヨン(仮名)が手紙を書いた。「私たち皆、お互い頑張りましょう。死なないようにしましょう。必ず生き残ってこの社会が変わるのを一緒に見たいです」。22歳のピョン・ヒスが応えた。

 予備役下士(軍の階級)のピョン・ヒスと法学科志望生のハン・ジュヨン。一度も会ったことのない二人だが、彼女らが経験してきた苦痛の道とこれから描いていく希望の風景は重なる。二人とも「男性の体に閉じ込められた女性」で、長い間内面に苦しみを抱いてきた。トランスジェンダーに対する韓国社会の“タブー”を破るために自らをさらし、ヘイトにぶつかって倒れた。ハン・ジュヨンは淑明女子大学法学部の2020年新入生として合格したが、反対世論に押されて先月入学をあきらめた。ピョン・ヒスは今年1月、「大韓民国の軍人になる機会を与えてほしい」と言い、涙で敬礼したが、軍によって強制退役させられた。

 しかし、彼女らが作った“亀裂”は有効だ。ピョン・ヒスが涙を流したその日、軍は軍隊内の性的マイノリティの共存のために悩み始め、ハン・ジュヨンが入学をあきらめることを宣言したその日、大韓民国は性的マイノリティと共に生きる人生について論争し始めた。ハンギョレは粉々に割れた心をひとつにつなげ、二人を説得し、お互いへの手紙をお願いした。ハン・ジュヨンとピョン・ヒスはしっかりしていた。二人はお互いのための希望を超えて、韓国社会のための希望のメッセージを送ってきた。

差別禁止法は共に生きるための法律(2)//ハンギョレ新聞社

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「冷たい視線…それでも先頭に立ってくれたヒスさんに感謝」

 「私がカミングアウトしなかったら、私が私の存在を明らかにしなかったら、ジュヨンさんも志望した学校に静かに、何事もなく通えたのではないか。私が聞いた罵倒と非難を聞く必要がなかったのではないか。いろいろ複雑な心境でした」。陸軍訓練所を出て初めて手紙を書いたというピョン・ヒスが伝えた最初の一言には、ハン・ジュヨンへの心配が込められていた。

 1月30日、あるメディアを通じて淑明女子大学に性転換した女性が入学するという事実が報じられた後、ピョン・ヒスは「『いよいよ来るべきものが来た』という気持ちになった」と話した。「わずか数日前までは私に向けられていた非難、悪質なコメント、悪口、嘲弄、ヘイトの矢がジュヨンさんにもまったく同様に向かうだろうことを、分かりすぎるほどよく分かっていたのです」。ピョン・ヒスが実名と顔をさらしてカメラの前に立ったのは1月22日だった。彼女の強制退役の事実を知らせるニュースのコメントには、嘲弄と非難が飛び交っていた。

 人々はピョン・ヒスの性転換を「選択」だと責め立てた。「自分の選択による結果なので差別ではない」。しかし、ピョン・ヒスの決心は「選択」ではなかった。ほとんどのトランスジェンダーの人々は、死の衝動に駆られた末に性転換手術を受ける。「神様が私の体を作る時に失敗したのではないか。私が前世に何か過ちを犯したからこんなことになったのだろうか。小学生の頃、マンションの屋上を見上げながら毎日飛び降りたい衝動に駆られていました」。そのようにして性転換手術を受け、最初のトランスジェンダー軍人になろうとしたが拒否された時、ピョン・ヒスは極端な考え(自殺)まで考えずにはいられなかった。「本当に万が一、退役処分が出ても再入隊しよう、再入隊できなければ軍務員としてでも軍に残りたい(と思いました)。いざ除隊命令が下されると、私は死んでもこの社会に警鐘を鳴らさなければならないという気持ちがこみ上げてきました」

 ハン・ジュヨンは一緒に泣いた。「私たち二人がしたことは平凡な日常を送ろうとする自然なことだったけれど、まだ社会は私たちの平凡な日常を許してくれませんでした」。ハン・ジュヨンはようやく手に入れた法学部の合格証をあきらめなければならないほど、激しい苦しみを背負った。遠くから彼女はピョン・ヒスが先に負った苦しみに共感した。「記者会見以降は精神的にも大変だったと思います。何気なく投げつけられたようなコメント一行がこんなに胸に刺さるとは、直接経験してはじめて分かりました。私についてよく知らない人たちが、記事数行だけで私の生活を予想して断定し非難する姿を見て、悔しくつらかった」

 入学をあきらめる意思を明らかにしたのは先月7日だが、いまでも彼女は夜中に携帯電話が鳴るとびくっとし、記事やコメントを読むこともできない時間を送っている。「じっとしていても『他の人たちは私を嫌がるのでは』という恐怖が湧いてくることもあります。応援のメッセージを見ても、大丈夫だという思いを心に刻み込んでも、心が少しずつ削られて残り、私は一人ぼっちだという思いが頭をもたげるのを避けられないんです」。ハン・ジュヨンはピョン・ヒスに送った手紙に打ち明けた。

 そんなハン・ジュヨンにピョン・ヒスという名前は「勇気」として感じられた。「すべての侮辱を一人で耐えなければならなかった苦しみを思うとつらく、胸が痛くなる」と言いながらも、ハン・ジュヨンは先頭に立って勇気を出してくれたピョン・ヒスに感謝した。「実は一番先に伝えたかった言葉はありがとうという言葉でした。まず、このように自分を明かす勇気を出してくれて後に続くことができた、そのような勇気がなかったら私もこんな勇気を出すことはできなかっただろうと思います」

法学科志望生のハン・ジュヨン(仮名)が予備役下士のピョン・ヒスに書いた手紙=ハン・ジュヨン提供//ハンギョレ新聞社

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「恐怖が包容に変わりますように」

 苦痛の中でも二人を立ち上がらせたのは支持と連帯だった。「性別を越えて人間として、人格として私たちを応援してくださり、支持してくださる方々が多いことがわかりました。私たちと連帯してくれる人たちがいることを、応援してくれる人たちがいることを、あなたたちは一人ではないと言ってくれる人たちを思うと、恐怖と怖さが和らぎ、希望と安堵感が生まれました」。ハン・ジュヨンはピョン・ヒスに語った。淑明女子大の内部で「急進的フェミニズム」を標榜する女性たちの間でハン・ジュヨンを攻撃する言葉が飛び交った時、もう一方では彼女を慰め支持する言葉が続いた。

 ピョン・ヒスも同じだ。傷つけたのも人だが、苦痛の時間のあいだ死なずに耐えられるようにしたのも人だった。陸軍本部の決定は彼女を傷つけたが、ピョン・ヒスの部隊員と上司たちは彼女を支持した。彼女は手紙で繰り返し明らかにした。「私の事情をよく理解してくれた主任院士、大隊長、旅団長、軍団長の配慮のおかげで、性別訂正手術まで無事に受けることができました。記事が出て私を慰めてくださった大隊幹部の方々、勇士の方々、そして苦楽を共にした三渓高校の同級生たちに感謝の言葉を伝えます」。そのような意味で、彼女はハン・ジュヨンに希望の言葉をかけた。「事件が進むにつれ、時間がたつにつれ、私の周りにはそんな人ばかりではないことがわかりました。私たちと連帯しようとする人が私たちを攻撃する人より多いと信じています」。二人は自ら後に続く人々の希望になりたいと話した。「悲しくてつらいことですが、今でなければ未来に誰かが経験しただろうし、また同じように傷ついたはずです。つらいけれど、それでも未来に他の人々が、私たちの平凡な日常を返してもらうための声を出し続けてくれることを願いながら、勇気を出して前に進まなければ」「法曹人になって社会から疎外された人々を助けたい」というハン・ジュヨンは、一文字一文字書いた手紙で明らかにした。ピョン・ヒスの願いも同様だった。「復職後、いつか時間が流れ退役というものをするようになったら、私を助けてくださる方々のように社会活動家になって、第2、第3のピョン・ヒスまたはハン・ジュヨンを支援してあげたいという新しい夢ができました」。カメラを扱うのが好きなピョン・ヒスは「映像媒体を通じて、差別問題について社会に伝えることができればと思う」と書いた。韓国社会は二人の夢を打ち砕いたが、二人は依然として韓国社会への愛情を失っていなかった。ハン・ジュヨンはピョン・ヒスに書いた。「この機会に、私たちの社会が多様性についてもっと考えることができるようになることを願いました。多様な人生を尊重できるように、他を排斥しない社会がつくられるように、『違うこと』が『間違ったこと』ではない社会になるように、恐怖が包容に変わるように…」。彼女は怒って絶望するよりも、理解して希望することを選んだ。ピョン・ヒスは「私が彼らに人間としての待遇を受けることを望むように、私も彼らを人間として待遇してこそ究極的に韓国社会が正しい方向に進むことができると信じています」と答えた。「ヘイトは決して勝てません。黒人を差別したアパルトヘイト、ユダヤ人や性的マイノリティを弾圧したナチスのように、ヘイトはいつか必ず歴史の審判を受けるでしょう。私たちに対するヘイトが恥ずべき行為になり、汚名になる日が必ず来るはず」。そして約束した。

「必ず生き残ってこの社会が変わるのを一緒に見たいです。ぜひ、そうなるようにしましょう」

 冬は去り春が来る。「もうすぐ春が来るように、人生にも暖かい風が吹いてくることを願っています」。ハン・ジュヨンが送った挨拶だ。安否は二人だけのためのものではなかった。息を殺したまま苦しみを抱いたピョン・ヒスと全てのハン・ジュヨンに伝える慰めと励ましだった。そのように一人で冬を生き抜いた二人は、今は“一緒に”なって春が来るのを待っている。(敬称略)

カン・ジェグ、クォン・ジダム、キム・ミンジェ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/932864.html韓国語原文入力:2020-03-17 08:02
訳C.M

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