世界のどこかで毎日トランスジェンダーが殺されている

文=遠藤まめた
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 350人。今年の9月末までの1年間に、世界中で殺されたトランスジェンダーの数だ。毎年11月20日は「トランスジェンダー追悼の日」とされていて、この1年間におきたヘイトクライムの記録が発表される。犠牲者が多い順に、ブラジル152人、メキシコ57人、米国28人。もっとも数字は判明しているものだけなので、氷山の一角にすぎないとの見方もある。

 350人のうち98%がトランス女性またはフェミニンなトランスジェンダーで、犠牲者の62%はセックスワーカーだった。ヨーロッパで殺害されたトランスのうち半数は移民。米国で殺害されたトランスのうち79%が有色人種。犠牲者の平均年齢は31歳とかなり若い。

 日本で暮らすトランスジェンダーである私にとって「追悼の日」は、他国の仲間たちを想う日であって、自分のものと言い切るのはおこがましいものである。前にニューヨークを旅行したとき、地下鉄にトランス女性のアジア人の知人と一緒に乗っていたら、見知らぬ人に彼女が絡まれ始め、ほっとけば一触即発でなぐられるんじゃないかという事態になった。

 彼女はトランスフォーブに慣れていたので、すぐに「バーイ」と電車を降りて、その乗客から離れた。会社の出張でインドにいったときに知り合ったトランス女性はセックスワーク以外の職業の選択肢がなく、猟奇的な客に苦しんだ話をしていた。トランス女性を好んで買う客の中には、警察はトランス女性の訴えをきかないだろうからと彼女たちをひどく痛めつける「ヤバい客」がいて、彼女はがんばって毎日ラジオで英単語をおぼえてこの環境から抜け出した。トランスジェンダーに対する銀行の差別的な態度をあらためさせ、インドで家を買うためのローンを組んだはじめてのトランスジェンダーにもなった。男性との間に養子ももらった。インドではとてつもなく珍しいことで新聞にも載った。

 このような困難を目の当たりにすると、日本で正社員として働いている自分は、どのような言葉をつづけてよいのか戸惑う。そして戸惑うことが暫定的な正解なのではないかと思う。私は1980年代後半に日本で生まれたトランスジェンダーでよかったなと思うし、世界中のトランスジェンダーが自分みたいにちゃんと教育を受けて、好きな仕事を選んで、友達と美味しいものを食べて笑えたらいいのにと思っている。90年代生まれだったり、2000年代生まれだったりしたら、もっとよかったかもしれないけど。

 道端を歩いていて、知らない人から追いかけられて殺されるような社会を日本の私たちは生きていない。でも、日本が安全かといえばまったくそのようなことはなく、トランスジェンダーは学校の中ではぶたれたり蹴られたり、服を脱がされるいじめにあっている割合が高い。2010年代に生まれた小学生のトランスキッズである「ひなちゃん」が、学校の中で傷つき自殺を試みようとした話が先日、NHKでウェブ記事になり話題になった

 差別がなぜいけないかといえば、死につながるからだ。自分はもう大人になり、子ども時代とはちがって着る服を自分で選べたり、仲良くする人を選べたりする。アイスだって好きなときに好きなだけ買える。大人は子どもに比べたらサイコーなのである。だから二度と子ども時代にタイムマシンで戻りたくない大人のひとりとして、ひなちゃんをはじめとするトランスキッズたちとときたま遊んでいる。さきほど後の時代に生まれたらよかったかも、と書いたけれど、それはそれでやっぱり苦労はある。

 トランスジェンダーが若いうちに命を落とすこともなく、当たり前に歳をとって、80代になって安心してボケられる社会になってほしい。世界中のどこで生まれたとしても。

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