CHANGE / DIVERSITY & INCLUSION

私はトランス・ノンバイアリー。【カミングアウトから得た教訓 Vol.1】

イギリスのコンデナストで働くエリン・パターソンは、トランス・ノンバイナリー。エリンが職場でカミングアウトした道のりと、そこから得た教訓を、全3回にわたって振り返る。Vol.1の今回は、カミングアウトに至った経緯と、その後の複雑な心境について。

ミュンヘンで行われたLGBTQ+のパレードで掲げられたトランスジェンダーの旗。Photo: NurPhoto

数ヶ月前、私は自分がトランス・ノンバイナリーであることを職場の上司たちに打ち明けざるを得なくなった。当時は、両親と親しい友人、そしてソーシャルメディア内のグループにしか打ち明けておらず、公にするつもりはなかった。だが、職場である問題が発生し、自分の立場を明確化する必要が出てきたのだ。今から、その道のり話したい。

私が所属するイギリスのコンデナストは、『VOGUE』や『GQ』『VANITY FAIR』『WIRED』など、非常に先進的なメディアを発行している。だから、会社自体も同様に先進的であると思っていた。けれど、2015年にケイトリン・ジェンナーが『VANITY FAIR』の表紙を飾った際、同僚の1人が「吐き気がする!」と叫んだのだ。私は心からぎょっとした。

ちょうど、トランスジェンダーの権利をめぐる議論が活発になっていた頃だった。その何げなく口にされた発言(会社を代表する意見では決してない)は、皮肉なことに、その号の成功を祝してシャンパンの乾杯が行われている最中に発せられた。

驚いたのはそれだけではなかった。皆が乾杯して談笑している中、「実際、トランスは周囲からどう見られているんだと思う?」というメッセージが、私に送られて来たのだ。トランスフォビア(トランスジェンダーを嫌悪する人のこと)は少数派だとわかっていても、胸が痛んだ。

社会変化の兆し。

その後、2018年11月にイギリス版『VOGUE』で、編集長のエドワード・エニンフルが「#WeWontBeErased」というキャンペーンをスタートした。このキャンペーンは、権威に屈することなく、トランスジェンダーの生活と権利を強く支持するもので、これを機に、オフィスに向かう私の足取りは軽やかになり、職場に対する気持ちにも変化が生まれた。

漠然とした感情だったが、非常にパーソナルであり、誰かにトランスジェンダーであることを告白したとき以上に温かく感じたのだ。このキャンペーンは私を奮い立たせ、社会のいたるところにあった反トランスジェンダー的な発言の解毒剤となった。

こうして勇気付けられた私は、トランスコミュニティと長年対立してきたイギリスのメディア番組の司会者が、コンデナストの別の媒体で取り上げられることになった際、ついに上司にこう言ったのだ。

「私はトランスジェンダーです。だから、この号には携わりたくない」

こうして、図らずもカミングアウトすることになったわけだが、結果的には上手くいったのだと思う。ただ、私は混乱していた。トランスフォビアの態度をとる同僚は誰一人いなかったし、争うべき相手もいなかった。それでも、私は自分が意気消沈し、失望することになるだろうと思い込んでいた。

けれど、実際はまったく逆だった。上司は私の代名詞(She/HeやThey/Them)を尋ねてくれたり、私のジェンダーが誤解されないように社内に共有した方がいいかと聞いてくれるなど、支えようとしてくれた。なのに、なぜか私は大人しく縮こまって、打ち明けたことを後悔していた。構われたくないという気持ちと、支えてもらっていることを恥ずかしく感じていたのだ。そして何より、内心、そう思っている自分に驚いていた。

交錯する複雑な感情。

2019年のクリエイティブ・アーツ・エミー賞のレッドカーペットに登場した女優のラバーン・コックス。Photo: Getty Images

その時、私の中では気まずさや、感謝、奇妙な悲しみ、恥ずかしさ、そして再び感謝といった感情が渦巻いていた。この複雑な感情の根底にあったのは、ある種の自虐的な感謝の気持ちと、自分には支えてもらうほどの価値が無いという居心地の悪さだった。寛大なサポートの申し出に対して、私は過剰に感動し、同時に、自分はそれに値しないと感じたのだ。

以前にも似たような状況で同じように感じたことはあったものの、私はこの感情が異常であることに、この時初めて気が付いた。

その数日後、同じようなことが起きた。私が父とコーヒーを飲んでいたとき、父が、「こないだノンバイナリー・ジェンダーについてネットで調べたんだ」と言った。アメリカ先住民の文化には多くの異なる性別があること。南アジアのヒジュラー(男性でも女性でもない第三の性)のこと。そして、バイナリージェンダー(ジェンダーが男性か女性かの2択であること)とは植民地制度によって広がった考えであること。さらに、ノンバイナリー・ジェンダーはかなり新しい考え方であって、明らかに非科学的であることなど、父は調べた限りの知識を披露してくれた。私は純粋に、そうやって父が私を理解しようとしてくれていることに感動したが、同時に、奇妙な不快感を覚えたのだ。

※Vol.2に続く。

Text: Alan Paterson Photos: Getty Images