BACK * Home * ナイトクラブ が 地域 活性 の 起点 と なる ? “ 都市 を 耕す ” アムステルダム の 「 De School 」 探訪 記 * HomeHome ホーム -- * ナイトクラブ が 地域 活性 の 起点 と なる ? “ 都市 を 耕す ” アムステルダム の 「 De School 」 探訪 記 岡田 弘太郎 -- 音楽 は 社会 に どう 関わ れる の か ?   音楽 を 愛し 、 その 思い を 形 に しよ う と し た こと が ある 人 なら ば 、 一 度 は 向き合う 問い かも しれ ない 。 オランダ 、 アムステル ダム の 外れ に ある 「 地域 活性 の 起点 と なる クラブ 」 は 、 その 問い に 答える ヒント を 教え て くれる 。 * # カルチャー * # クリエイティブ -- 昨年 末 の 旅行 の 目的 地 に 選ん だ の が 、 アムステルダム だっ た 。 「 アムステルダム は 社会 の OS が 違う 次元 に ある よう な 印象 」 と 、 世界 の さまざま な 都市 に つい て リサーチ を 重ねる 『 WORKSIGHT 』 編集 長 の 山下 正太郎 氏 に 言わ しめる ほど の 魅力 と は 、 一体 どの よう な もの な の か 。 その 都市 が もつ 秘密 を 少し でも 解き明かそ う と 、 現地 の アート や デザイン 、 クラブ カルチャー にまつわる 場所 を 訪ね 歩い た 。 たとえば 、 メディア アーティスト が 運営 する 実験 的 な レストラン や 、 ポスト ・ ヒューマン を テーマ と し た 展示 など 、 いくつ か 足 を 運ん だ 中 で 特に 感銘 を 受け た の が 、 アムステルダム の 外れ に ある De School という クラブ だっ た 。 まち づくり の 起点 として の 「 クラブ 」 De School は 、 廃校 に なっ た 小学校 の 建物 を そのまま 利用 し 、 クラブ 、 レストラン 、 カフェ 、 そして ギャラリー を 併設 し た スペース だ 。 アムステルダム の 外 れ に ある 開発 予定 地区 に 2016 年 1 月 に オープン し た 。 De School を 手がけ た チーム は 、 これ まで に も いくつ か の クラブ を 手がけ て き た 。 2005 年 から 2008 年 まで に 旧 郵便 局 ビル を 利用 し た 「 Club 11 」 、 2009 年 から 2015 年 まで 旧 新聞 社 の 建物 を 利用 し た 「 Trouw 」 など だ 。 一貫 し て いる の は 、 開発 途中 の エリア に クラブ を つくり 、 そこ を 地 域 活性 の 起点 に し て いる こと 。 -- 空間 を そのまま 利用 し て 、 学校 で 行わ れる よう な クラス を 開講 し た こと も ある という 「 スノッブ さ 」 が 、 その クラブ を 特別 な 場所 に する ここ まで 説明 する と 、 とても 社会 的 意義 の 高 そう な クラブ だ が 、 スノッブ さ も 忘れ て は い ない 。 遊び に 行く 前 に Google マップ に 記載 さ れ た クチコミ 情報 を 見る と 、 どうやら その 日 に 出演 する アーティスト に 詳しく ない と 入り口 に いる ドア マン が クラブ に 入れ て くれ ない 、 という 出来事 が あっ た そう だ 。 排他 的 な クラブ と 言え ば 、 ベルリン の Berghain が 思い 浮かぶ 。 RedBull は 「 世界一 入る の が 難しい 」 と 表現 し 、 「 Berghain へ の 入り 方 」 なんて 記事 を 掲載 する ほど に スノッブ な クラブ だ 。 しかも 、 入れる か どう か は 「 Berghain に ふさわしい か どう か 」 という 曖昧 な 基準 によって 判断 さ れる の だ から 、 本当に 鼻持ち なら ない クラブ だ 。 だが 、 その 排他 性 や エリート 主義 的 な 側面 が 、 Berghain という クラブ の ブランド を 形づくっ て いる 。 そして 、 そこ で 生まれる 熱狂 が 、 ベルリン の クラ ブシーン を 、 ひいては ベルリン という 都市 そのもの を 魅力 的 な 街 に 仕立て て いる 側面 も 否定 でき ない 。 Berghain が ある こと は 、 ベルリン に 足 を 運ぶ の に 十分 な 理由 に なり 得る から だ 。 De School も 同じ だ 。 クラブ カルチャー 好き にとって 、 独自 の スタイル を もつ De School の 存在 は 、 アムステルダム という 都市 を 訪ねる 理由 に なる 。 だから 、 適度 な スノッブ さ も 重要 な の かも しれ ない ( 多様 性 を 重んじる オランダ とい う 国 において 、 De School の 排他 性 は 批判 さ れる こと が ある の も ここ に 記し て おく ) 。 -- 開場 に 着い た 頃 に は 、 既に 深夜 1 時 を まわっ て い た が 、 そこ から が 長い 。 来場 者 に ドア マン が 質問 を し たり 、 入念 な 荷物 検査 が あっ たり と 、 一 人 が 入場 する の に 掛かる 時間 が とても 長い 。 冬 の 寒 さ の なか で 当日 券 待ち の 列 に 並ぶ こと 約 1 時間 30 分 。 女性 の ドア マン に 「 日本 から 来 て クラブ ミュージック が 好き な ん だ 」 と 伝える と 、 アリガトウ と 日本語 で 返答 を もらい ながら 、 入場 に 成功 !   前 に 並ん で い た 人 たち を 見 て い た が 、 入場 拒否 さ れ て い た 人 は ほとんど い なかっ た よう に 思える 。 -- ( 1 階 に は アーチ が ひたすら 続き 、 それら が 断続 的 に 光り 続ける よう な 空間 も 。 割 と トリップ する ) クラブ 内 は 撮影 禁止 の ため ( ここ も ベルクハイン と 共通 し て いる ところ だ ) 、 入り口 で スマホ の カメラ に シール を 貼り 、 いざ 中 へ 。 クローク に 荷物 を 預け 、 地 下 の ステージ に 足 を 運ぶ 。 とにかく スモーク が 焚か れ て い て 前 が ほとんど 見え ない 。 DJ ステージ も 低い 位置 に 設け られ て おり 、 各々 が フロア で 自由 に 楽しん で いる 。 おそらく 、 DJ と そこ で 踊る 人々 に 上下 関係 を つくら ず 、 フラット に する という 意図 だろ う 。 音楽 キュレーション を 担当 する Luc Mastenbroek 氏 は 「 地下 に ある クラブ は とても 暗い です し 、 華やか で は あり ませ ん 。 なので ひとり の アーティスト を 大きく 取り上げ た イベント を す る 場所 と いう より は 、 人 が 時間 を 気 に せ ず に 集う 居心地 の 良い 場所 です 」 と 、 De School の スタイル について 『 QUOTATION 』 誌 の 取材 に コメント し て いる 。 念 の 為 記載 し て おく と 、 入念 な 荷物 チェック が ある ため 、 クラブ 内 で マリファナ を 吸っ て いる よう な 人物 は い ない 。 とても クリーン な ハコ で ある 。 なにせ 行政 と 一緒 に まち づくり を し て いる わけ だ から 。 50 年 かけ て クラブ カルチャー が 成熟 し た 都市 De School の スゴ いとこ ろ は 、 まち づくり の 一環 という 名目 が あり つつ も 、 かなり コア な 音楽 が 日々 そこ で 鳴っ て いる こと だ 。 Tom Trago や Job Jobse といった アムステルダム 出身 の アーティスト を フック アップ し つつ 、 世界 で 活躍 する アクト の 招致 も 忘れ て い ない 。 そんな 一貫 し た 思想 を 大切 に する クラブ は 、 オープン から 約 3 年 が 経と う と し て いる 。 当初 は 5 年 契約 という こと だっ た が 、 その 先 が どう なる か は まだ 未定 ら しい 。 「 成し遂げ た こと の ピーク で ドア を 閉め て 終わる と 、 より 永く 影響 力 が 続き ます し 新しい こと を 始め られる チャンス も 訪れる 」 と 、 『 QUOTATIO N 』 誌 の インタビュー で 、 ファウンダー の Ernst Mertens 氏 は 語っ て いる 。 成果 を 測る こと も 重要 だ と 思い つつ 、 「 音楽 は どう 社会 に 関わ れる の か ? 」 という 問い に対して ひとつ の アプローチ を 試行 錯誤 し て いる こと 自体 が 、 とても 魅 力 的 に 思え た 。 だって 、 日本 で は 「 廃校 に なっ た 小学校 を リノベ し て クラブ に する 」 こと も 、 「 まち づくり の 一環 として クラブ を つくる 」 こと も 、 なかなか 実 現し 得 ない わけ だ から 。 そんな クラブ カルチャー の ルーツ を 探る と 、 約 50 年 前 まで 遡る こと が できる と 、 『 ベルリン ・ 都市 ・ 未来 』 の 著者 で あり メディア 美学 者 の 武 邑光裕 氏 は 語っ て いる 。 「 1967 年 、 アムステルダム の ヴレイエ・ゲメエンテ 教会 ( Vrije Gemeente ) を 当時 の ヒッピー たち が 占拠 ( スクワット ) し 、 ボトムアップ の 音楽 空間 が 誕生 し ます 。 この クラブ は Paradiso ( パラディソ ) と 呼ば れ 、 現在 も ライブハウス として 世界 の ミュージシャン を 魅了 する 栄光 の 歴史 の 原点 でし た 。 」 原点 が ここ に ある の なら ば 、 自分 たち の 手 で ボトムアップ で 街 を つくっ て いく 伝統 が 受け継が れ て いる と も 言える だろ う 。 前述 の よう に アムステルダム で は ナ イトメイヤー の ポジション が 設け られ て い て 、 街 の 行政 に ナイト シーン を 盛り上げよ う と する 機運 が ある 。 やはり 、 クラブ カルチャー の 成熟 具合 に は 、 驚かさ れる 。 -- BACK * Home * ナイトクラブ が 地域 活性 の 起点 と なる ? “ 都市 を 耕す ” アムステルダム の 「 De School 」 探訪 記 PAGE TOP PAGE TOP