産経ニュース

静岡の政治家、田中正造と交流 新資料、掛川で25点

地方 地方

記事詳細

更新


静岡の政治家、田中正造と交流 新資料、掛川で25点

 日本初の公害である足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家、田中正造が描いたとみられる風刺画や書簡25点を、掛川市教育委員会が9日、公表した。同市に残る「河井家文書」から新たに発見されたもので、掛川の衆院議員だった河井重蔵と正造の交友を記す新資料の発見に、調査に携わった研究者らは「正造が重蔵を同志とみていたことを示す貴重なもの」と話している。

                    ◇

 現在の掛川市上張にあった河井家には、明治時代に衆院議員を3期務めた重蔵と、宮内省侍従次長を務めた弥八親子の残した文書など約4万点が現存。文書は平成14年に掛川市に寄贈され、翌年から県近代史研究会の会員11人が目録の作成作業に当たっていた。

 今回新たに発見されたのは、正造から重蔵に送られた書簡24通と、正造自筆とみられる風刺画1点。書簡ははがきと封書があり、長いものでは半紙6枚に及んでいた。

 最も古い明治37年7月付の書簡では、地元の村の入会地である山が皇室の御料地となったことを悩む重蔵に対し、正造が「平民新聞社にて集会せる社会主義なる人々」に頼るよう指南。正造は社会主義者について「今の世の人の誤解はあれども、(中略)旧年の民権党の如きものなり」と評しており、県近代史研究会会員の北原勤さん(70)は「正造は社会主義運動を自由民権運動の延長とみていた」と分析する。

 また正造自筆とみられる縦128センチ、横59センチの巨大な風刺画には、当時地租(土地に対する租税)の増税を進めていた第3次伊藤博文内閣を皮肉った「内攪捜鯉鯛臣(ないかくそうりだいじん)議員あやつりの図」の書き入れが。風刺画は「実業家」「一名株式連」と書かれたズボン姿の伊藤博文が、「地価修正」「監獄費国庫支弁」の小魚をエサに、「軟骨魚」の議員連を釣り上げようとする1コマ。左下には「田中正造」の名前が顔に入った魚が、「非増税刀」の鋭い口を議員連に向け、地租の増税を牽制(けんせい)している様子が描かれている。

 重蔵は県議時代の明治30年に、鉱毒被害が発生しているとして佐久間村(現浜松市)の久根鉱山の採掘停止を建議して採択されたが、後に久根鉱山は足尾鉱毒事件を起こした古河鉱業に買収された。北原さんは書簡のほとんどが重蔵の衆議院在籍時のものだった点を挙げ、「明治34年に議員を辞職した正造にとって、重蔵は国会の場で鉱毒事件を提起してくれる同志だったのでは」と語った。

 今回発見された新資料のうち、書簡12通と風刺画は14日から31日まで市埋蔵文化財センターで無料で公開される。同センターの開館は平日午前9時~午後5時、土日は休館。問い合わせは掛川市埋蔵文化財センター(電)0537・27・0855。