上間常正 @モード

風刺の意味とは? パリの連続テロ事件とファッション

  • 文 上間常正
  • 2015年1月23日

写真:連続テロ事件の犠牲者を悼み、行進に参加する数十万人のパリ市民=AP 連続テロ事件の犠牲者を悼み、行進に参加する数十万人のパリ市民=AP

写真:各国首脳や国際機関のトップが参加=AP 各国首脳や国際機関のトップが参加=AP

写真:これも軽い風刺の表現?(いずれもモスキーノの2014年秋冬コレクションから。大原広和氏撮影) これも軽い風刺の表現?(いずれもモスキーノの2014年秋冬コレクションから。大原広和氏撮影)

写真:     

 今年初めのパリの連続テロ事件に続き、日本人を人質とした身代金要求というショッキングな事件が起きた。どんな理由があっても市民を殺したり誘拐したりすることは卑劣で野蛮な行為で、決して許されることではない。しかし自分はイスラムの地域や人々、そこで起きている問題についてどれだけ知っているのだろうか? と思ってしまうことも事実なのだ。

 フランスの週刊紙シャルリー・エブドの風刺画は、もちろんテロという許しがたい行為とイスラム過激派組織に向けたものだったろう。だがイスラムの預言者を上品とはいえないタッチでからかったことによって、多くの一般のイスラム系の人たちの心を傷つけてしまった。事件が起きた当初は「表現・報道の自由」を掲げて非難する声一色だったが、イスラムの側のさまざまな声や事情を紹介する動きも出てきた。

 それはまだ十分とは言えないだろう。フランス国内に限っても、イスラム系の人たちの経済・社会的な不平等や被差別。またかつての植民地としての被害や独立運動に対してフランスが行った残酷な弾圧…。そんな状況を作ったり見過ごしてきたりした人たちを、シャルリー・エブド紙もほかのメディアも同じように風刺してきたか? 表現の自由のために闘うならば、表現の中身と自由に伴う節度について、常に自問し続けることが必要なはずだからだ。

 そしてもう一つ。風刺というのは、強い側をおちょくるからこそ意味があるのだと思う。全体的なイスラム対ヨーロッパという図式でいえば、歴史・文化を別とすればヨーロッパは強者であることは免れない。それを十分に意識していなければ、風刺のつもりでも実際には差別的な嘲笑と受け取られてしまうのだ。

 ところで風刺といえば、ファッションはよく風刺の的になってきた。ファッションは表面的で軽薄な虚飾だからだ、との理由だった。風刺する側は、自分たちは物事を本質的に考えていて真面目なのだということになる。だとすれば、それは結局上から目線の嘲(あざけ)りということになる。それでもファッションの風刺が一つのジャンルとして定着したのは、それが高価な流行の服が買える金持ち階級の生活スタイルへの下から目線の批判ともなっていたからだ。

 しかし嘲りにしても風刺にしても、ファッションはどちらにもめげず、新しい形や流行を次々と軽やかに作り続けてきた。時には、批判されたスタイルをさらに誇張する表現をあえて発表した。そしてその中に「あなた方は本当に本質的で真面目なのか?」との毒のある問いかけが秘められていた。優れたデザイナーたちは、虚飾を楽しむことへの自制心にはいささか欠けていたとしても、偽善には敏感だったのだ。

 今回の一連の報道の中では、多くの政治犯が投獄されていたり政府に批判的なジャーナリストが何人も不慮の事故で命を失ったりしているような国の偉い人らが、臆面もなく「表現・報道の自由」を語る声もあった。シャルリー・エブド紙のその後の対応ぶりにも、勇気はほめたいが深い自問はあまり感じ取れない。だから一介のジャーナリストとしては、「私はシャルリー(JE SUIS CHARLIE)」のプラカードを素直に掲げる気にはなれないのだ。

 いずれにせよ、配慮を欠く風刺や、建前だけの「表現の自由」の主張ではテロをなくすことはできない。対立し合う関係では、お互いについての情報とコミュニケーションを深めることが必要なのだと思う。ファッションのような軽やかな風刺のセンスも案外役に立つのではないだろうか。

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

PROFILE

上間常正(うえま・つねまさ)

1972年、東京大学文学部社会学科卒後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。


&wの最新情報をチェック

Shopping