ラさんだけが生きてトルコに戻った。妻と息子2人は溺れて死んでしまった。 クルディさん一家はカナダに住むアブドラさんの姉テーマさんに再会しようと、カナダを目指していた。 トルコのリゾート地ボドルムから2隻の船に乗って出発するグループに参加。一緒にいた23人のうち14人が死亡したとみられている。 それでも数字だけ見ると、今年の夏に地中海で頻発した移民の大量死の中では特に多い人数ではない。しかし惨事をとらえた映像や写真が、アブドラさん一家 の悲劇を特別なものにした。 -- った。 Image copyright Agency Image caption 3歳のアラン君(左)と5歳のガリブ君と母リハナさんはトルコから船でギリシャへ渡ろうとして溺死した しかし2014年後半には、コバニの町がクルド人勢力と過激派勢力「イスラム国」(IS)の戦闘の中心地になってしまった。一家はほかの数万人の住民と 共にトルコへ脱出。開かれていたトルコの国境を越えることで避難はできたが、難民としての資格は伴わなかった。 シリアの周辺国で難民危機に正式に対応したのはトルコが最初だった。2011年10月に、一時的な保護政策を導入し、シリア難民は帰国させないと約束し たのだ。 -- 話した。 Image copyright Reuters Image caption アブドラ・クルディさんは妻と息子2人を必死に助けようとした。トルコ・ムグラの遺体安置所で家族に対面した(3日) 親族によると、クルディさん一家は過去に3回、トルコ出国を試みたがいずれも失敗に終わった。2日に船に乗ったのが4度目で、まずイズミールにいる人た ちの協力を得てボドルムに向かい、そこから船でギリシャ・コスへ向かった。船旅のために払った費用はおそらく4000ユーロ(約53万円)。一家のカナ ダへの飛行機代の数倍の金額だ。 そして言うまでもなく、旅は失敗に終わった。小さい2隻の船は出発して数分後に高波に襲われ、船長は飛び降りて逃亡。水中に放り出された息子たちを、ア ブドラ・クルディさんは必死になって助けようとした。 -- 「すべてなくなってしまった」 「家族の墓の横に座りたい。そうやってこの痛みから楽になれたらいいのに」 アブドラさんは家族の遺体と共にイスタンブール経由でコバニに戻り、4日に埋葬された。 この記事を共有する 共有について * Email