筆跡鑑定
筆跡鑑定(ひっせきかんてい)とは、鑑定の一種で、複数の筆跡を比較し、それを書いた筆者が同一人であるか別人であるかを識別するもので、専門的には筆者識別という。筆跡の鑑定は、筆跡に現れる個人内の恒常性と希少性の存在を識別する事によって成立する。
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[編集] 筆跡鑑定の根拠
[編集] 筆跡の個性
文字は、人が相互に意思を伝達するために、統一的に定めた記号である。この文字を記載する際には、起筆から終筆まで、筆記具による運筆行動が不可欠となる。このとき、記載者に固有の書癖による運動軌跡が記されて、筆跡上の個人差が生じることとなる。これが、他人よっては見ることが出来ない、筆跡上の個性というものである。
[編集] 筆跡の恒常性
個人の筆跡は、常に個性を持って存在している。しかし、常に不変不動のものではない。記載時の客観的条件や心理状態によって、多少の変動は不可避的に生じるから、恒常性と言っても完全に不変不動と言うものではなく、その変動が、一個人の筆跡として異同を比較検査した場合、許容の範囲内にあって無視得る程度のものであることを意味している。
[編集] 筆跡の特徴
筆跡は、点と線の集合及び組み合わせによって構成されている。筆跡の鑑定では単にそれらの点や線を形態的に観察・検討するのではなく、筆跡から見出すこの出来る個性や筆記具などの影響などの影響にも考慮し、筆跡特徴を捉え、総合的判定を行うものである。
[編集] 筆順
文字を書く際の順序については、文部科学省による筆順指導の手引によって一定の順序が定められている。しかし、実際には必ずしも手引きに従って万人が同じ筆順で書かれているわけではないから、個人別に見るならば、ほぼ同一筆順によって書き記されるから、文字ごとに固有の特徴を示すことになる。
[編集] 字画構成
個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を発見する事が出来る。
[編集] 字画形態
個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴には、書き記した個性が明確に発見できる。
[編集] 筆勢
文字を書く場合に見られる、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆使いを筆勢と言う。
[編集] 筆圧
文字を書く筆記具で記載面対して加えられた圧力。筆者識別の実務では主に点画の交差などを観察して筆順を導き出す検査が行われている。書字行動がなされた現物でしか観察されない事からコピー資料では検査できない。欧米で行われるHandwriting Analysis(筆者識別)によるアルファベット文字解析の主要検査である、コンピューター解析による、モアレトポグラフィー法(モアレ縞を利用して筆圧痕を測定する方法)などでもコピーの場合は検査できない。
[編集] 誤字、誤用
文章中の誤字や誤用は、誤って習得したり、筆癖などによって正しくない字画を覚え込んでしまうと、執筆者独自の誤字、誤用となり、変化し難い固着したものとなるから、筆者識別上、有力な個人特徴ともなるが、この「議事・誤用」を知る者が執筆者に代わり偽筆を行おうとすれば容易に真似できてしまうため、筆者識別の実務では慎重な観察が求められる。
[編集] 個人内変動
筆跡には執筆者における執筆時の個人差があり、これを「筆癖」や「特異性」として観察するため筆者識別が可能になるが、同一筆者が同じ文字を複数回執筆する場合において、点画の位置や長さ・角度などに変動が生じるのは当然避けられない。 個人内変動は、この「執筆時の変動の度合い」を同一筆者からの同字のサンプルを収集し、個々の執筆者の「個人内変動の範囲」を観察する必要がある。この「個人内変動の範囲」の観察作業が行われずに鑑定が行われると、一部の類似点や相違点に対して鑑定結果を求めるといった偏った鑑定になるため、精緻な鑑定書では必ず個人内変動について可能な限りの文字サンプルを集め詳細な説明がなされている。 ちなみに、個人が書字行動を行う際に、同一人が過去に執筆された文字と寸分違わぬ文字を執筆する可能性はあるが、氏名や住所など「文字列」として完成された筆跡が、まったく同じ状態で執筆される可能性はきわめて低く、この場合には「個人内変動」が無いのではなく、透かし書きなどの偽造の可能性が高いと考えられる。 筆者識別の実務においては「個人内変動の範囲」を観察する事は極めて重要な作業であるため、主観に頼らない観察作業が要求される。点画の観察はグリッド基準が設けられ、コンピュータによる角度計測や光学機材を使用した筆圧痕による筆順の検査と併せて、筆脈や意連・形連などを観察する人の目による従来の方法とのハイブリッドな検証が実施され判定が行われる。
[編集] 筆跡鑑定法
[編集] 目視による特徴点、指摘法(筆者の国語能力に着目するもの)
一文字の一部分もしくは数か所の特徴を指摘する方法で、いわゆる伝統的筆跡鑑定法と呼ばれるものである。 鑑定人の勘と経験により、検体筆跡の中から一致、類似、相違する部分を抽出し、その部分を判定する。 従って、鑑定人が異なると、抽出部分も異なり鑑定結果も変化する場合が多い。 以前は警察関係でも採用されていたが、東京高裁平成12年10月26日判決においてその信用性に疑問が呈され、以後使用されなくなった(後述)。
[編集] 目視による特徴点、分類法(筆者の特徴・用字癖に着目するもの)
個々の目立つ特徴点だけに捉われず、文章全体としての傾向や性質、特徴などを指摘する方法。いわゆる伝統的筆跡鑑定法の問題点に着目し鑑定人の個人的経験と勘による手法を排除した発展形態。「伝統的筆跡鑑定法」が文字形態の比較検査にて判定する方法に対して、人の書字行動の個性を検査し筆者識別を判定する方法である。吉田鑑定に代表される科学的解析法。一般的に科捜研鑑定と呼ばれる鑑定法である。
[編集] 計測測定に基づく、数値解析法(筆者の特徴・用字癖に着目するもの)
科学鑑定は公平で中立的な立場で鑑定が実施される必要がある。それは捜査の段階で冤罪を防ぐ役割を担っているからである。犯罪捜査に関わる科学捜査では、捜査機関である科捜研で鑑定が実施される。そのため、中立性が疑われやすい立場であると言える。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピュータへ入力後、コンピュータによって多変量解析を行う[要出典]。この他に筆跡を画像でとらえフーリエ解析する方法もある[要出典]。解析結果は数値でとらえられることから、鑑定人の主観的な要素を排除し科学性が得られると考えられている[要出典]。現在、最も公平で中立的、高精度の筆跡鑑定法とされている[要出典]。
数値解析の研究は1990年ごろから始まった新しい筆跡鑑定法である[要出典]。当初は法文書研究者から強い批判を受けたが、次々に改良が進められて行った。平成10年頃になると、個人識別精度は高度化する[要出典]。次に求められたのが法廷資料を目指した安定性だった[要出典]。そして解析技術は、より数学化して行く[要出典]。それは同等の技術レベルがあれば、誰が解析しても同じ回答になるというものだった[要出典]。平成18年頃には、3文字で99.99%の超高度の識別能力が学会発表[要出典]され、法廷資料を目指し安全性が検証されるようになる[要出典]。 現在の刑事事件や裁判では、最新の数値解析技術ではないが、十分に検証・検討され、精度と安定性が確認された検査法が用いられている[要出典]。数値解析法による筆跡鑑定は、高精度の筆者識別能力が認められており、有効な裁判資料として扱われている[要出典]。 そして、現在の科捜研鑑定を代表する検査法となり、数々の刑事事件[要出典]や裁判[要出典]で活躍する鑑定法である。
[編集] 筆跡鑑定に関する学会
法文書研究者らによる膨大な研究データの蓄積がある。[要出典]
[編集] 筆跡鑑定の科学的評価
[編集] 米国法廷での科学鑑定の基準
アメリカの法廷では科学的に問題のある鑑定を判断させるという困難な課題を回避するために、「フライ基準」が採用されてきた[要出典]。被告人フライの刑事裁判の上告審において、1923年に下された決定で、新規の科学的証拠が、実験レベルやデモンストレーションのレベルを脱して、信頼性のおける実用レベルになっているものであるか否かを判断する基準を定めたもの。その基準として、その特定の分野の科学者すべてから有効として認知された手法であることが必要であるとされた[要出典]。
このフライ基準が長らく科学的信頼性を判断する基準として用いられてきたが[要出典]、新しい科学的手法の場合には、いくら科学的に信頼性が高いと思われても認められない場合があることから、総合的に考える手法が探られ、新たにドーバート基準が採用される様になった[要出典]。ドーバート対メレル・ダウ製薬の上告審で、アメリカの最高裁判所が1993年6月28日に下した判決には、科学的証拠の信頼性(受容性)を判断する新たな基準が提示されていた[要出典]。 その基準は、それまでアメリカ国内で広く採用されていたフライの基準が要請していた「一般に認められた手法に限る」という基準を排する一方で、4項目からなる新たな基準を提示した。
ドーバート基準は以下の4点からなる。
- 1.理論や方法が実証的なテストが可能なこと。
- 仮説が実験テストなどにより、科学的根拠があること。
- 2.理論や技術がピア・レビューされあるいは出版されていること。
- 学会など科学者のコミュニティーで点検させていること。
- 3.結果を評価するために誤差率や標準的な手法が明らかにされていること。
- 分析的基準が決められ、それがどの程度の誤りが生じるのか明らかにされていること。
- 4.専門分野で一般的に受け入られていること。
- 学会などにおける受容の程度が考慮される。
このように、陪審員制をとる米国では、新規の科学鑑定を法廷で採用するか否かを裁判官がゲートキーパーとして判断する仕組みになっており、フライ基準ないしドーバー基準が用いられている[要出典]。この仕組みは疑似科学を見分ける役割も兼ね備えている。
[編集] 日本の法廷での評価
科学技術の著しい進化に伴い、鑑定方法もますます高度化が加速している。そのためにドーバート基準は他の科学技術でも同様に国内法廷において度々登場する科学的根拠として採用されている[要出典]。現在の裁判において、筆跡鑑定はドーバート基準に則しており[要出典]、信頼性の評価に値するものは証拠として採用されて、科学的根拠を示さず自分の判定は正しいと主張する鑑定の証拠価値は無いと判断されている[要出典]。
[編集] 筆跡鑑定に影響を与えた判決
判例タイムズ1094号
民・商事裁判例 [民法]
9(東京高裁平12・10・26判決)
筆跡鑑定は、科学的な検証を経ていないというその性質上、証明力に限界があり、他の証拠に優越する証拠価値が一般的にあるのではないことに留意して、事案の総合的な分析検討をすべきであるとして、主として筆跡鑑定によって遺言書を無効とした一審判決の認定を覆し、遺言書を有効とした事例
東京高裁平成12年10月26日判決(判例タイムズ1094号)では、遺言書の筆跡は被相続人Aの日記帳の筆跡と異なるとした裁判所の選任した筆跡鑑定人による鑑定結果を採用して遺言を無効と判断した一審判決を覆し、遺言書は有効と判断した。その理由は、一審判決での裁判所選任鑑定の信用性に対する疑問であり、次のように述べている。
- 筆跡鑑定について
本件遺言(乙3の2)の筆跡とAの日記帳(乙20)の筆跡について、原審における鑑定の結果は、
- ア配字形態は、類似した特徴もみられるが総体的には相違特徴がやや多く認められる
- イ書字速度(筆勢)は、総体的に相違特徴がみられる、
- ウ筆圧に総体的にやや異なる特徴がみられる、
- エ共通同文字から字画形態、字画構成の特徴等をみると、いくつかの漢字では形態的に顕著な相違があり、ひらがな文字では総体的には異なるものがやや多い傾向がある
として、本件遺言の筆跡とAの日記帳の筆跡とは別異筆跡と推定するとの結論を出している。
一方、乙64はいくつかの漢字について相違しているもの、類似しているものを挙げ、また、両者の筆跡間に筆者が異なるといえるような決定的な相違点は検出されないなどとして、本件遺言の筆跡とAの日記帳の筆跡とは筆者が同じであると推定されるとの結論を出している。
原審における鑑定の結果と乙64とは、基本的な鑑定方法を異にするものではない。2つの結論の違いは、本件遺言自体が安定性と調和性を欠いていること、Aの日記帳は、昭和55年7月21日から昭和62年4月16日までの間に記載されたもので個人内変動があること、どの字とどの字とを比較するかについてあまりに多様な組合せが可能であることなどによって生じたものと考えられる。
そうすると、本件のような対象について、筆跡鑑定によって筆跡の異同を断定することは出来ないというべきである。
なお、筆跡の鑑定は、科学的な検証を経ていないというその性質上、その証明力に限界があり、特に異なる者の筆になる旨を積極的にいう鑑定の証明力については、疑問なことが多い。したがって、筆跡鑑定には、他の証拠に優越するような証拠価値が一般的にあるのではないことに留意して、事案の総合的な分析検討をゆるがせにすることはできない。
この事案では一審の裁判所選任鑑定人による筆跡が異なるとの結論に対し、二審では被告側選任鑑定人による筆跡が同一との結論の鑑定書が証拠として提出され、二審判決は一審での裁判所選任鑑定人の筆跡鑑定結論に疑問を呈してその筆跡鑑定の結果を採用しませんでした。
- 鑑定方法の違い
この事案は、鑑定方法の違いによるものだった。一審の裁判所選任鑑定人による「いわゆる伝統的筆跡鑑定法」を退け、二審の被告側選任鑑定人「法科学鑑定法」を採用された画期的な前例となった判決である。
一審の裁判所選任鑑定人による「いわゆる伝統的筆跡鑑定法」では、例えば、筆者によって異なる筆順の種類(同一字体の文字に現れる複数の筆順)や同一字体の誤字相互間の誤り方の違い、あるいはそれらの出現頻度や個人内変動などに関する判断が調査又は実験データに基づくものではなく、それらは鑑定人による「勘と経験」による個人的な判断であるものが多い。
しかし「いわゆる伝統的な筆跡鑑定法」の中にも筆順や誤字の検討のように、現在の法科学による筆跡鑑定でも欠くことができないものも含まれている。 さらに、「いわゆる伝統的な筆跡鑑定法」を定義したものはないし、それを他の筆跡鑑定法と区別した説も見当たらない。
そのため、原審における鑑定の結果と乙64とは、基本的な鑑定方法を異にするものではない。とされている。
この事案での一審の裁判所選任鑑定人は、鑑定対象となる筆跡の中から一致又は類似、あるいは相違する部分を抽出し、抽出されたものについて判断しされている。
- ア配字形態は、類似した特徴もみられるが総体的には相違特徴がやや多く認められる、
- イ書字速度(筆勢)は、総体的に相違特徴がみられる、
- ウ筆圧に総体的にやや異なる特徴がみられる、
- エ共通同文字から字画形態、字画構成の特徴等をみると、いくつかの漢字では形態的に顕著な相違があり、ひらがな文字では総体的には異なるものがやや多い傾向がある。
しかし裁判官は、筆跡の鑑定は、科学的な検証を経ていないというその性質上、その証明力に限界があり、特に異なる者の筆になる旨を積極的にいう鑑定の証明力については、疑問なことが多い。と結論した。
対する乙64では、自然科学的手法に準拠する筆跡の分析データやそれらの母体となる実験データに基づく客観的で総合的な判断を行っている。
乙64は、いくつかの漢字について相違しているもの、類似しているものを挙げ、また、両者の筆跡間に筆者が異なるといえるような決定的な相違点は検出されないなどとして、本件遺言の筆跡とAの日記帳の筆跡とは筆者が同じであると推定される。とした。
そのため二審判決では、一審での裁判所選任鑑定人の筆跡鑑定結論に疑問を呈してその筆跡鑑定の結果を採用しなかった。
この判決は、それまで警察内で行われていた「鑑定人による勘と経験に頼る伝統的筆跡鑑定法」と決別し、調査や実験データなどを利用する客観的な鑑定法へ移行するきっかけとなった。