天然理心流剣術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天然理心流(てんねんりしんりゅう)とは、日本の武術流儀の1つである。
目次 |
[編集] 概要
遠江国の近藤内蔵之助(?-1807年)が、寛政年間(1789-1801)頃に創始し、江戸に道場を構えた。二代目を近藤三助が継ぎ、江戸はもとより、現在の多摩地方や埼玉、神奈川まで広範囲に普及した。
天然理心流は剣術に居合術、小具足術(小太刀術)を含み、その他柔術、棒術も伝える総合武術である。剣術は神道流、柔術や棒術は竹内流の系統である。門弟は剣術、柔術、棒術を別に学ぶ事が出来たようである。(つまり、剣術のみの皆伝、柔術のみの皆伝などもあったという事である。)
技量に応じて入門から切紙、目録、中極意目録、免許、指南免許、印可と進み、指南免許を得ると独立し門人を集め道場を開く事が出来る。ただし指導自体は免許などを得た時点で行われていたようである。
二代目近藤三助は、天然理心流の最後の免状である 指南免許や印可を誰にも与えず46歳で早世した。そのため決まった後継者がいなかった。免許までを受けていた高弟たちは、その後天然理心流を各地で教授する事となった。また近藤三助の高弟の一部は、初代近藤内蔵之助の高弟である小幡万兵衛に改めて指導を仰ぎ、指南免許を受ける事となる。
[編集] 近藤三助以降
各地で天然理心流を教授した近藤三助の高弟には以下のような人物がいる。
- 漆原権左衛門 三助の死後、初代近藤内蔵之助の弟子小幡万兵衛より指南免許を受けたと言われる。
- 桑原永助 漆原と同じく、三助の死後、小幡万兵衛より指南免許を受けたと言われる。
- 島崎周助 後の近藤周助。剣術免許。
- 増田蔵六 八王子千人同心。近藤三助門下の中で実力随一といわれ、剣術、柔術、棒術の免許を受ける。八王子にて多くの弟子を育てる。指南免許は小幡万兵衛より受けたといわれる。
- 松崎正作および松崎和多五郎 和多五郎は小幡万兵衛より指南免許を受けたと言われる
江戸時代後期に近藤周助の養子である近藤家四代目近藤勇が京都で新選組を結成した事で知名度を上げる。
近藤家五代目は近藤勇の婿養子である近藤勇五郎が継承した。 近藤勇五郎は、その当時存命であった多摩在住の師範より天然理心流を学んだと思われる。近藤勇五郎は天然理心流の形はほとんど行わず、おもに撃剣(竹刀稽古)を行い、当時の試合記録が残っている。
天然理心流は、師より口伝や免状を受ける事によって伝承するが、前宗家から免状を受けたのは四代目の近藤勇までである。
現在では、近藤勇の生家である宮川家の子孫の宮川清蔵が九代目宗家道統を継ぎ、二代目の近藤三助の弟子の系統で全伝を伝承していると称する心武館館長の大塚篤とともに茨城県牛久市で指導している。 また、八代目の加藤伊助の弟子であった平井泰輔、荒川治もそれぞれ三鷹市で天然理心流を指導している。
[編集] 天然理心流歴代
近藤家の伝承
- 初代 近藤内蔵之助 長裕
- 二代目 近藤三助 方昌
- 三代目 近藤周助 邦武(近藤勇の宗家四代目就任後、通称を周斎と改める)
- 四代目 近藤勇 昌宣
- 五代目 近藤勇五郎 信休(撥雲館道場を開く)
- 六代目 桜井金八 義祐
- 七代目 近藤新吉 正行
- 八代目 加藤伊助 修勇
- 九代目 宮川清蔵 勇武
二代目より多くの師範の系統に分かれる。
- 増田蔵六系
- 松崎系 天然理心流最後の指南免許師範と思われる小谷田洞水(明治8年~)や昭和中頃に天然理心流保存会を結成した松崎幸三郎(昭和61年没、松崎和多五郎の孫)などを輩出する。
- 漆原系
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 天然理心流剣術 | 居合 | 柔術 | 歴史関連のスタブ項目