天然ボケ

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天然ボケ(てんねんボケ)とは、外面的な性格の類型の一つである。

漫才におけるボケは、笑いとツッコミを誘うために計算されてわざと行われるが、このような「ボケ」的な行動を無自覚に行うとされる性格類型を指す。単に「天然」とも言う。

1980年代萩本欽一ジミー大西に向けて使ったのが最初とされる。この経緯については ジミー大西#来歴・人物を参照されたい。

[編集] 概要

知識や行動が常識から少々逸脱しており、しかも本人にそのことの自覚がないかあっても薄く、総じて無邪気な性格と同列で語られることが多い。「ぼんやりしている」とも表現されることがあり、無知や行動上の幼さが常識との齟齬を伴う。漫画などでの登場人物の性格類型の描写として発達したものと思われるが、現実の人間についても言われる。

社会における通念とは異なった基準や考察を持った人が、そのような行動(言動)を表だって無意識的に行った時に、社会における大多数の価値観や常識に染まっている人がその行為を判断すると、理解できなかったり面白かったりする。いわゆる多数派の常識の視点からその状態を表現した言葉(いわゆる常識人側の視点から見て、本人に自覚が無いように見える場合に用いられる)。

「天然ボケ」と言われる時は、自分が何をしているのかはよく理解しているものの、それが周囲の一般的観点から少しばかりずれている事に気がついていない場合に多い。それは単に知識や経験の不足であったり、育った環境により間違った知識を植え込まれたことが原因で起こりえる事であり、仮に該当者の行動などによって周囲が困惑しても、悪意がないのと実質的な被害がほとんど発生しないのとで、基本的には否定的な意味ではなく、むしろこれは「幼さ」を連想させる「かわいらしさ」や笑いの要素と捉えられる(対象の人物が実際に幼い年齢である場合には「天然ボケ」ではなく単に「幼い」とみなされ「天然ボケ」とは区別される)。その無邪気な行動が周囲を和ませる点で、しばしば癒し系と同様に語られることもある。ただし、女性の場合は「周囲に甘えている」と誤解されたり、男性の場合は「男らしさや頼りがいが欠けている」と見なされる場合も多い。

[編集] 類義語・対義語

なお、類似する言葉で、注意力の散漫(たとえば料理や皿の運搬に頻繁にへまをする)や技能の不足などが主な要因の場合は「ドジっ子」。また、知識や行動が常識から大きく逸脱し、周囲がその行動様式をとうてい理解不可能な場合は、「不思議ちゃん」と呼ばれ区別される。

例えばある問いかけに対して、通常予想される返答とは異なるものの、その返答に至るまでの経緯や勘違いの具合を周囲が察することが出来たり理解できる場合は天然ボケと受け取られるが、通常予想される返答とは異なり、尚且つ「なぜその返答に至ったのか」周囲の理解の範疇を越える場合は不思議ちゃんと受け取られる。不思議ちゃんの場合、本人の個人的妄想や行動様式が原因で、他人との会話そのものに集中しておらず(できず)、意味が繋がらずちぐはぐになる場合が多い。それはそれで個性的で愉快との印象を人に与えることもあるが、論理的な会話が成り立たないことを理由に、コミュニケーション不全として他人から嫌われる原因にもなっている。

実在の人物では、ロックミュージシャンのチバユウスケなどがこの性格類型に該当し、天然ボケに由来する数々の逸話で知られる。歌手のビョークなど、海外にも類似した例は見られ、英語ではeccentric(エキセントリック)と表現される。

これと比較してぶりっ子カマトトなどの性格類型は、本人がその行動の効果を承知した上で意図的に行っているため、第三者がそれと気づいた場合は否定的な意味合いで語られる場合が多い。「とぼける」とは本来意図的な行為だが、天然ボケに関しては意図的でないことをあえて強調するために、頭に「天然」という語が冠せられているものと思われる。

「天然ボケ」の対義語として、予めある意図を持ってわざと天然ボケのように装うことを指して、「計算」という言葉がしばしば用いられる。また、同様の意味で「狙う」という表現が使用される場合もある。

[編集] サブカルチャーにおける天然ボケ

サブカルチャーにおいては、萌え要素の一つと見られ、男性の視点による女性の魅力とみなされる傾向が強いが、男女を問わず、かなり広い年齢範囲で適用が可能である。また、老衰や病気・障害によるものではなく、あくまで一種の性格として捉えられる範囲が対象である。

創作作品の中では、コミック・リリーフと位置付けられることもある。

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