価値

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価値(かち、value)とは、或るものを他のものよりも上位に位置づける理由となるもののこと、あるいは真・善・美などの絶対性をもつ性質をいう。

殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質程度を指す。

目次

[編集] 倫理における価値

倫理、哲学及び刑法学においては「価値」は「良いという性質」のこと。逆に、「悪いという性質」は「反価値」(刑法学の用語では一般に「無価値」)という。広義には、両者を併せて「価値」と呼ぶ。最も重要な用法は新カント学派西南ドイツ学派など)によるもので、自然界と英知界の二元論的世界観のうち後者に重きを置き、価値が判断の際の必須条件であると考える。

[編集] 経済学における価値

[編集] マルクス経済学における価値

マルクス経済学における価値とは、モノとしてではなく制度的な関係性としての商品が持つ性質の一つである。マルクス経済学では全く性質が異なる商品、例えばお米と布などの間で物々交換が成立することによって、普遍的抽象的な価値が、事後的に存在することになると考え、これを「価値」と名づけた。(等しい価値が存在するから交換が行われるのではなく、交換によって、二つは等しい何者かを持っていたのだ、という観念が成立し、ひとたびこの観念が成立すれば、今度は交換行為がその観念に規制される。こうした分析によってマルクスは交換価値を事物の客体的な属性として実体視することを批判した。物象化批判。このあたりは「資本論」第一巻に詳しい。)このようにして交換されるモノ自体の性質としては幻想ではあるが、交換の事実の効果として、ある社会的な支えを持つという意味で社会的な実体を持つ価値は、その商品を生産するために必要となる社会的平均的な労働の量、つまり社会的必要労働時間の長さによって、その交換比率において制約を受け、結果としてそれによって決定されると考えられた。(使用価値交換価値労働価値説も参照)

[編集] 近代経済学における価値

近代経済学では、価値の根源を人間の欲求・欲望に求める。欲求は主観的なものであり、異なる個人間での比較のための絶対的尺度とはなり得ない。交換が行われるのは、相互の欲求に差異があるからであり、交換により双方が利益を得て(消費者余剰生産者余剰)、パレート効率を達成する。近代経済学では効用価値説を採用して、価値を商品固有の属性とは見なさないため、価値という用語の代わりに効用(こうよう)を用いる。効用は個人に特有で主観的なものであり、異なる個人の効用を比較することさえできない。そして、取引成立のための最終交換単位による効用の増加分(限界効用)が価値(価格)決定に大きな役割を果たすことを明らかにし、古典派経済学で言う使用価値と交換価値とを、全部効用と限界効用によって統一的に説明した。

[編集] 価値のパラドックス

は有用だが通常は安価であり、宝石はさほど有用とはいえないが、非常に高価である。これは「価値のパラドックス」と呼ばれ、これを説明することは、初期の経済学の難問であった。これを解決するため、交換価値使用価値をはっきり区別し、直接の関連を否定して考えるようになった。すなわち、水は使用価値は高いが、交換価値は低い。また、宝石は使用価値は低いが、交換価値は高い。古典派経済学では価値の大小の理由として、希少性(使いたい量に比べて使える量の少ないこと)が考えられた。近代経済学(限界効用学派)では、全部効用限界効用の区別により二者を統一的に説明することでこの問題を解決した。

[編集] 希少性と限界価値

水の価格(交換価値)は、砂漠などでは非常に高価となる場合もあるが、通常は安価である。その理由は、水がすでに豊富である(希少性に乏しい)場合には、水の追加1単位の価値(限界価値)が低いことによる。

[編集] 関連項目

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